glay-usagi’s diary

ASDグレーゾーン「うさぎ」の、理解されない人生の記録

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「うさぎの印象」その4:気持ちの浮き沈みが激しい

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シリーズ第四回は『気持ちの浮き沈みが激しい』についてです。

( → シリーズの概要はこちら: 「うさぎの印象」その1:人目を気にしなさそう )

 


 

気持ち?状態?の浮き沈みが極端に激しいときがある。投稿内容を見ても、明らかに状態が分かるよね。たまに大丈夫?!のときもあれば、助けてと言いたくなる時もある…だそうです。確かに言われた通り、ズドンと来ることがあるのが自分でもわかります。

基本的にテンションは高い方だと思います。面白いことを言うのが好きですし、楽しい方が良いです。普段は結構強気で、偉そうなことばかり言っています。でも、どうしても沈んでしまうことが度々あります。考えてみると、二通りのパターンがあると思います。

 

ひとつ目のパターンは『生理的に嫌なことを押し付けられたとき』です。例えば、ワークシートを使って行う課題を課されたとき。私はそれができないので普段は極力やらないのですが、もし強要されると完全にブラックアウトします。これはまた改めて、別途詳しく書きたいと思っています。

他にも、何かとてもワクワクすることをゼロから自分で構想を練って作りあげているとき、人から「世間一般的な常識を上から目線で言われる」と我慢ができません。それまでどんなに楽しくやっていようと、完全にどうでもよくなります。そこでぶん投げて、二度とやらなくなります。

私は、枠に嵌められることを異常に嫌う所があります。単に「こうした方がいい」と指摘されるのは一向に構わないのです。しかし「こうすべきだ」「こうするのが常識だ」のような言われ方、もしくは、直接そうは言われなくともそんな気配が滲み出ている上から目線の物言いに、とても敏感に反応してしまいます。

そんなときは、ただただ逃げ出したくて堪らなくなりますそれが叶わないと、ズドンと来ます。ものすごい失礼な態度になって、場の空気を壊しまくっているのが自分でもわかります。でも、どうにもできません。表情を作ることや、口を開くことさえしんどくなります。

 

 

もうひとつのパターンは『不定期的に来るやつ』です。なんとなく予感はあります。なんかヤバイな、そろそろ来そうだなと、少し前からどこかで感じています。数日前からのときも、もっと前からのときもあります。

何が引き金になるのか、正確にはわかりません。でもひとつの傾向が、最近少しわかった気がします。「本来ならその出来事があった時点で感じているべき負の感情を、後出しで自覚したとき」に、どうやら私はおかしくなるようです。このブログをはじめる直前が、正にその真っ只中でした。

 

話は「その4ヵ月ちょっと前」に遡ります。私はずっと大好きだった人に、実はだいぶ前から避けられていたと知りました。私は全く気づかずに、本人からそれを直接言われた瞬間でさえ、以前の「本当に仲が良かった頃」と変わらずに接していました。でも本当は、ずっと前から避けられていたのです。

私は感情にタイムラグがあります。知ったときはそれなりにショックなのですが、どちらかというと論理的に分析をしてしまいます。過去のひとつひとつのやり取りを改めて検証したり、今後の方針を考えたり、相手が被ったであろう迷惑を推定したり…

そして、だいぶ後になってから「そのときの感情」が急激に襲って来ます。このときは4ヵ月以上経ってから、ふと「あ、私は嫌われたんだ…」と自覚をしました。頭では既にわかっていた事なのに、突然実感が伴うのです。そして、悲しさや絶望感でパニックになりました。

 

そうなるともう何もできなくなります。ずっと泣き続けてしまい、最低限のこと以外はできません。生活があるので、なんとか仕事には行きます。ここで仕事まで投げてしまったら、もう本当に後が無くなると知っているからです。過去に何度も痛い目に遇っています。

私は泣くとすぐに目が腫れてしまいます。元からたいして巧くないメイク技術では、ちゃんと誤魔化し切れないことが多いです。それがとても恥ずかしいです。

いつもは綺麗でないと落ち着かない家の中も、全く家事や片付けができずにめちゃくちゃになります。それが余計に気力を奪います。数日から1、2週間ほど、そんな状態が続きます。完全に廃人状態になっています。

それでも仕事中は、普段通りできます。自動的に笑顔も作れます。テキパキ掃除もします。仕事モードだからです。業務が終わると廃人に戻ってしまいます。毎回「今日は帰ったら部屋を片そう」と思って帰路に着くのですが、結局立ち上がることさえできないまま翌日の出勤時間を迎えます。

 

そんな時期はそもそも人と会おうと思わないのですが、回答をくれたお兄ちゃんたちとは定期的にネット上でのやり取りの約束がありました。とても話ができる状態ではなかったので一切をキャンセルさせてもらったのですが、そのときに極端な浮き沈みを披露してしまいました。心配を掛けてごめんなさい。

一旦落ちてしまうと、ただじっと波が収まるのを待つしかできません。放っておけば、時間が経てば治ります。今は全く問題ありません。でもやはり、不定期的にそんな状態に陥ってしまいます。

小さいのはちょこちょこ来ますが、2、3日でやり過ごせるのでそんなに問題ありません。今回のように大きいのは、年に数えるほどです。予め人と会う予定があると、気が張っているので平気なようです。ちょっと落ち着いて、気が緩んだ時期にやってくる確率が高いような気がします。

 

今となってはこうして冷静に分析できるのですが、渦中のときは全く周りが見えなくなっています。余り賢いとは思えない悪い考えで、頭がいっぱいです。ものすごい孤独を感じます。それなのに、誰とも話したくありません。

私の浮き沈みが大きく見えるのは、やはり普段がおちゃらけているからだと思います。元気なときは、とっても元気です。なのでもしまたズドンとなっていたら、できるだけ放っておいてもらえると助かります。ちゃんと戻れるので大丈夫です。

 

( → 第五回へ続く: 「うさぎの印象」その5:好き嫌いがはっきりしている  )

 

( →【うさぎ年表】での分類:ブログをはじめる )

優しくてあったかい人

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考察シリーズはちょっと休憩です。思ったよりも書くのが難しく、時間が掛かります。数ヶ月前に気づいたことならまだ言語化しやすいのですが、考えながら同時進行で書くのは結構疲れます。なんとなく自分をえぐっているような感じがして、少し落ち込みます…

 

今回は、先日大好きな人と飲みに行くことができたので、その楽しかったことを書きたいと思います。知り合って1年ちょっと。やり取りは時々していましたが、会うのは久しぶりでした。

本当は一週間前の約束だったのですが、寝坊してドタキャンをし、翌週に延期してもらった経緯がありました。再び都合を付けて頂けて、とても有難いです。実は私は、この寝坊してしまうパターンがとても多いのです。

関西などのものすごく遠くに行くときは、行くこと自体に緊張しているので大丈夫です。しかし都内など近場で会う約束があると、度々寝過ごして相手に迷惑を掛けてしまうことがあります。仕事や大勢での集まりなら、余りありません。個人的に会う場合によくやらかします。

 

原因はわかっています寝不足です。嬉しくて楽しみにし過ぎて、2、3日前からそわそわして落ち着かなくなり、ほとんど寝られなくなってしまいます。

完璧に出掛ける準備をして、後は家を出るだけの状態になると、ホッとして急に眠たくなります。ちょっと数時間だけ仮眠… のつもりが後の祭りです。

これは昔からですが、現在は夜勤で仕事をしていることと、元々睡眠が不規則なことが重なり、( → 参考記事: 寝られない、起きられない ) なかなか巧く調整できません。楽しみで張り切り過ぎるほど、このパターンに陥ります

その分、相手に迷惑を掛けてしまったことと、会えなくなったことを、いつもとても悲しく感じています。本当にごめんなさい。

 

今回会えた人は、私にとってお父さんみたいな人です。私には、お兄ちゃんやお父さんのような人が何人かいます。歳は関係ないです。

彼をお父さんと呼ぶのは、実際には失礼です。でも、優しくてあったかくて、一緒にいるととても安心できる人です。

私は自分のことをたくさん喋りました。いつもは聞く側ですが、彼は色々と質問してくれるので、自分でも驚くほど色んなことを話してしまいます。毎回そうです。近況や仕事のこと、家族のこと、過去のこと…

 

それで、とても迷いましたが『言う練習』だと思って、このブログに書いているようなことを話しました。なかなか言葉が出ずに、涙ばかりが出てしまいました。彼にはいつも甘えてばっかりです。

私は自分が喋るのに必死で、彼がどんな表情で聞いていたのかはよく知りません。でも、特に否定もせずに、ずっと聞いてくれたような気がします。はじめの方は覚えていますが、その後なにをどれだけ話したのか、ほとんど覚えていません。

でも、話せた… すごくホッとしました。その後、お酒が入っていたこともあり、言う必要の無い発言までしていたことを、翌日になって思い出しました。それは本当に恥ずかしいです。気が緩み過ぎました…

 

前回人に話してから一年以上、ずっと誰にも言えませんでした。( → 参考記事: 変には見えないよ! )  自分のことを話すのは怖いです。でもやっぱり、好きな人には知ってもらいたいと思ってしまいます

私は、自分を弁解したいのだと思います。もし気に障るようなことをしてしまっても、嫌いだからでも困らせたいからでも無いと。

自分では良いと思っていたり、よくわからないでやってしまっているだけだと、相手にわかって欲しいのだと思います。嫌われたくないです。狡いのかもしれません。

 

彼は、私の変なところをひとつ教えてくれました。言われたときは余りピンと来ませんでしたが、先の発言と共に、後になって段々と状況が理解できました。それは恥ずかし過ぎて、ちょっとここには書けません…

その後ももしかしたら、私は彼とのやり取りを間違えているかもしれません。思っても言ってはいけないことの判断を、私はよく間違えます。ちゃんと考えてはいるのですが、相手の反応を見て「あれ?」と思うことが多いです。

それでも今まで通りに接してくれて、本当にありがとうございます。すごく救われています。彼が何を感じているのかは、全然わかりません。またいつもみたいに、気づかない内に離れて行ってしまうかもしれません。それでも今、とっても嬉しくて幸せな気持ちがするのです。また話したいな!

 

( →:【うさぎ年表】での分類:ブログをはじめる )

「うさぎの印象」その3:文章と対面でのギャップ

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私の印象(特に変なところ)」の回答と考察シリーズ、第三回は『文章と対面でのギャップ』についてです。

( → シリーズの概要はこちら: 「うさぎの印象」その1:人目を気にしなさそう )

 


 

ネット投稿など文字上と、ビデオ会話も含め実際に会って話すのとでは印象が違うように感じる。ひょっとしてゴーストライター?(笑) 文字の方が繊細で一歩踏み込んでくる感じを受ける…だそうです。文面でやり取りをしているときと、実際に顔を合わせて話すときの印象に、ギャップがあるそうです。

昔からよく言われます。「黙っていれば普通なんだけどな」とか、会った後で文章でのやり取りを続けていく内に「思ったよりちゃんとしているんだ」とか… 実際に会って話すと、ちょっと微妙な感じがするそうです。今でも言われます。

 

この回答に対しては、たくさん書けると思っていました。でも実際書いてみると… 趣旨がどんどんズレていってしまい、何を書いているのかわからなくなりました。それぞれをまたの機会に書くことにして、ひとまず白紙に戻します。

そしていざ、改めて書こうとすると… これは難しいです。文章なら考える時間がある、対面だとあまり余裕がない、ということくらいでしょうか。( → 参考記事: あらゆることを想定する )

あとは「非言語のものが見えてしまう」というのも原因かもしれません。本当は逆の方が嬉しいです。やっぱり実際に会ってみた方が印象が良い!と言われてみたいです。

 

この件は、回答をくれたお兄ちゃんにもう少し詳しく聞いてみようと思います。なので、一旦これで終わりにします。また考察が進んだら、その時に追記しようと思います。

  ※ 追記:文章でのやり取りをするときに私が気をつけていることから、この印象のヒントに繋がりそうなことがあったのでリンクを張ります。( → 参考記事: 国語の文章問題が得意なワケ

 

( → 第四回へ続く: 「うさぎの印象」その4:気持ちの浮き沈みが激しい )

 

( →【うさぎ年表】での分類:ブログをはじめる )

あらゆることを想定する

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一時期あるCMで流行った言葉を、まさか自分がこんなに実感する日が来ようとは思ってもいませんでした。まさに「想定外」です。人生とは思いも寄らないものです。

私は『マスク』のおかげでずっとコミュニケーションに自信を持って生きて来ましたが( → 参考記事: 『マスク』について ) 、それはすべて「想定の範囲内」に限ったことだと気づいたのです。

 

アスペルガーは「最近どう?」などの曖昧な質問をされると困ると言われます。何について聞かれているのかがわからないそうです。

私は誰と会話をしていても、言葉に詰まったことなどありませんでした。なので「少なくともこの特徴には完全に当て嵌まらない」という確信がありました。それが私が、自分がアスペルガーではないと感じた一番大きな要因です。私は「他人の言語外の意図を汲むことが大の得意」だったのです。

 

しかし… 完全な勘違いでした。本当によくもここまで、あらゆる自己認識を間違えて生きて来られたものだと、呆れて仕方がありません。知らぬが仏、とはよく言ったものです。

人は表面上の付き合いだけをして生きて行く限り、何でも有りで一生を終えられるものなのでしょう。でもそれはすごく寂しいことです。決して分かり合うことのない、触れ合うことのない人生は、無味無臭で味気ないものだと思います。

 

私が今までに答えられた「最近どう?」は、ある状況下限定でした。私には、俗にいう『友達』という存在、つまり他愛もない話をする相手がほとんどいませんでした。関係のある人というと、ある特定のフィールドで繋がっている人ばかりだったのです。

例えば、昔ギャンブル依存だったときには、同じくギャンブル好きの人と付き合います。そこでの「最近どう?」は、言わずもがな収支報告です。もしくは大勝ちか大損した武勇伝(?)です。

…他が思い付きません。今書いていて、他にも「例えば…」と書く積もりでいたのですが、考えても思い付きませんでした。私は人との関わりが、本当に希薄だったようです。

 

最近、多くの人と関わるようになり、この「最近どう?」が増えました。答えられません。でも取り敢えず、笑顔で何か返しているのだと思います、とんちんかんなことを… なぜなら、そこで話が途切れてしまうからです。

後になって、きっとこういうジャンルの近況について聞かれていたのかもしれないな、と考えます。でも聞かれた瞬間は、私にとって想定外の質問です。頭が真っ白になって、何も浮かばないのです。

相手の苦笑いを見てはじめて「しまった」と感じるのですが、だからといって何が言える訳でもありません。想定外のことは困ります。もっと具体的に、最近の○○の進捗状況はどう?と聞いてくれたなら、ある程度は答えられると思うのですが…

 

私は誰かと会話をした後は、できるだけそのやり取りの検証をしています。優位な短期記憶力のおかげで、会話を一からほとんど覚えています。毎回「復習」をすることで、相手の情報についての記憶の定着と、パターンの学習を図れます。

その時に、あそこではもっとこういう風に答えられたなとか、次はこの視点から聞いてみようとか、この流れだと今後こんな展開になるかもしれないなとか… 無限に「予習」をする機会を得られます。

そのため次回に話すときには、その人との会話で話題になりそうなことが、予め大部分わかっています。多少予測を外れても、様々なシミュレーションを繰り返してきたおかげで大抵は「想定の範囲内」に納めることに成功するのです。

なので、会話に困ることはありませんでした。人見知りをすることがないので、初対面は得意中の得意です。そのため私は自分のことを、臨機応変に会話ができる、相手の意図を理解できる人間であると信じて疑ったことがなかったのです。

 

先に相手の近況を尋ねることの方が多いです。聞き役のポジションを得てしまえば、自分が会話の主導権を握れます。常に想定した話の展開で進められます。だから私は、昔から『聞き上手』でした。

世間では聞き上手になるのは難しいと言われていますが、私にとっては簡単です。何万回と繰り返してきた「会話のシミュレーション」を持ってすれば、想定外の話を振られることと比べたら天国です。

そこは強みだと思っています。よく『聞き上手になるには…』と言ったスキル系の解説を見掛けますが、私にとっては何を今更と馬鹿らしく感じてしまいます。私が幼い頃から当たり前にやってきた事ばかりが書いてあります。他の人はなぜそれをできないのかが、不思議で仕方がないのです。

 

 

もし「最近どう?」と聞かれたときに、その後に相手にも聞き返せたら良いのでしょう。…, and you?というやつです。頭ではわかっています。でも、実際にはそこまで気が回りません。後から気づいて、いつも後悔します。

想定外の質問をされると、自分でも何というか… 地に足がついていない感覚というか、本当に頭が真っ白になり、自分でも何を喋っているのかわからなくなります。声が上ずっているように感じるので、なんとか表情筋をフル活用して、動揺を隠すのに必死です。

私はずっと、自分で「コミュニケーションが得意」だという自負があったので、たとえ頭が真っ白でも無意識に笑顔で返してしまうのです。それで一見、とんちんかんなことを笑顔で楽しそうに返しているように見えるのだと思います。それで相手は違和感を持つのかもしれません。本当は全く余裕なんてないのです

 

私にとって、人と関わることはとても疲れることでした。私は自分の疲れに気づきにくいようなのでずっと自覚できずにいましたが( → 参考記事: 疲れを自覚すること ) 、最近やっと気がつきました。

常に「想定」という引き出しをまさぐりつつ、相手の求めている相応しい受け答えを記憶の中から引っ張り出す。その後に何時間もかけて、あらゆる検証をして復習と予習をする… そりゃ疲れるわけです。

 

私は表情を作ることが得意だと思います。声のトーンやテンポ、間や相槌の入れ方などはすべて意識的に管轄しています。無意識に出ると言われる非言語の情報にも、できる限りくまなく気を配っています。それこそ髪の毛の先から、爪の先まで。

人の全身が発するすべての「微かな筋肉の動き」が、相手にどういった非言語のメッセージを送るのか。それを常に研究して意識してきました。そのため、その状況で相応しいと思われる反応を相手に見せることができます。…状況が想定の範囲内なら。

それが、私が身に付けて来た『マスク』です。私は常に、あらゆることを想定しようと必死で生きて来ました。希薄なままで済む関係なら、それで十二分に通用します。でも「普通の関係」では、想定外のことが意外と多いのだと知りました。完全に盲点でした。

その点、文面でのやり取りならその弱点がカバーできます。想定外のことでも記憶を辿り、類似の想定内のパターンに当て嵌めて考える時間が得られるからです。

 

いま私と付き合ってくれている新しい仲間たちは、この記事を読んだらびっくりするのでしょうか?それとも納得がいくのかな?私は最近、安心して付き合える人たちの前ではそんなに「想定」を意識しないで、少しだけ素のままでいられるようになりました。その分、ちょっとおかしい言動が多いとは思いますが…

彼らとは、そんなに疲れないでやり取りができます。やはり、頭をフル回転させまくって人と接することは、とても疲れることだったのだなと改めて感じます。まだこのブログを書いていることを言えていませんが、その内に…。怖いけどちょっとだけ期待してしまう自分に、少し驚いています。

 

( →【うさぎ年表】での分類:アスペルガーを疑いはじめる )

『わからない』という恐怖に近い不安

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余談から入りますが、私は「物が増える」と落ち着かなくなります。昔から本が好きで、何かに興味を持つとその分野の本(主に古本)をとことん買ってしまうのですが、そうするとどんどん本が増えていきます。

積まれていく本の山を見る度に、段々とそわそわイライラしはじめます。そしてその「物のプレッシャー」に耐え切れなくなると、一気に9割以上を処分してしまいます。もう何度やったかしれませんが、おかげでいつも本棚はスッキリです。

今回この話を書くのに、手元のノートに書いたメモしかなくて困っています。どの本に書いてあった話なのかがわかりません。すごくわかりやすくて、読みやすい本だったのに… 探しても無いので、処分してしまったのでしょう。そのため、メモに書いたこと以外の引用ができません。本の紹介もできません。それが残念です。

 

私がアスペルガーという存在を知ったのは、本当に偶然でした。自分がおかしいとは微塵も思っていない頃でしたので、当初はどちらかというと「当て嵌まらないこと探し」をするためにたくさん本を読みました

それでもやはり、調べれば調べるほど「当て嵌まるのに、当て嵌まらない」ことが多く、誰かに聞くこともできずに疑問だけが募っていきました。後になってわかるのですが、私は『マスク』がとても多いために「一見、当て嵌まらない」ように思えることがとても多かったようです。( → 参考記事:『マスク』について )

 

それに、私は衝動性がとても強いです。ADHDの「衝動性」の特徴に、ほとんど当て嵌まってしまいます。でも「不注意」は全く当て嵌まりません。「多動性」は僅かに当て嵌まるものもありますが、問題のない程度だと思います。

なので衝動性だけを見ると、どちらかというとADHDに近いのかなと感じたこともあります。もしかしたら「衝動性」だけ少し入っているのかもしれませんが、それでもやっぱりADHDは違うと感じていました。なんと言えばいいのか…「次元の違い」みたいな感覚でしょうか?

 

そんな頃に読んだのが、その本でした。アスペルガーとADHDの特性が一覧になっていて、とても見易い本でした。特徴のひとつひとつの項目は、今でこそYesが多いですが、当時は半分以上をNo(そんなことはない、できる)と思っていた頃です。

一覧のまとめに、アスペルガーとADHDの「不安の正体」の違いについて、ひとことで言い表すと…といったような一文がありました。

 

アスペルガーの不安『わからない』という恐怖に近い不安 

 

この一文を見たときに、なぜだか涙が止まらなくなりました。深夜のファミレスで、ボロボロ泣いてしまったことを覚えています。悲しいような、嬉しいような、ほっとしたような何とも言えない感情が溢れてきました。そのときに、はじめて「もしかしたら私はアスペルガーなのかもしれない…」と思いました。

 

当時はまだ多くの項目をNo(そんなことはない、できる)と思っていましたが、それでもどこかで違和感は感じていたのだと思います。「自分はできる」という自信とは裏腹に「…でも、なにかがおかしい」と、無意識では感じていたのかもしれません。

ただ、それを認めることはできませんでした。私にとって「ちゃんと理解してやっている」イコール「できる」だったからです。それに対する結果(周りの反応や、その後の状況)のことは、全く考えられていませんでした。

そんな状態の当時でも、この一文はとても胸に刺さりました。今ならそれがわかります。本当に「わからない」のです。なぜ大好きな人に、突然避けられてしまうのか。なぜ自分では一番正当だと思ってやったことが、人からズレてると言われてしまうのか。

どんなに調べて学習しても、工夫をしてみても、一時的には良くできても結局は同じです。すごく努力して「わかった」と自信を持てても、何かが違うのです。どんなに「わかった」を積み重ねても、わからない。何がわからないのかが、わからない。それがとても怖いのです。

 

今は、何がわからないかはわからなくても「自分はわからない」ということはわかります。相変わらず恐怖はありますが、以前みたいにそのままどんどん突っ走ったり、 破壊衝動に走ったりすることがだいぶ減りました。

ただ、根拠のない自信は以前の方があったと思います。不安を感じることは却って増えてしまいましたが、それでも取り返しの付かない事態まで物事を深刻化してしまうよりかは、ずっと良いと思えています。

 

( →【うさぎ年表】での分類:アスペルガーを疑いはじめる )

疲れを自覚すること

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自分はフィジカルが強くて、疲れることはあまり無い人間だと思っていました。3歳から本格的に水泳をやっていたし、長距離が得意でマラソンも早かったので、体力には自信ありました。

10歳のとき『最大酸素摂取量』というのを、水中の風洞みたいな装置で計測したことがあります。オリンピック選手並みだと言われました。持久力があるということです。

それは「アスペルガーの女性は疲れやすい」という特徴に反します。さすがに激しい運動をすればくたくたになりますが、日常生活で疲れを感じることは、ほとんどありませんでした。

 

それでも幼い頃から、睡眠は不規則でした。( → 参考記事: 寝られない、起きられない ) 肉体的に疲れていないのに朝起きられないのは、だらしない人間。ずっとそう思っていて、コンプレックスに感じて来ました。

最近ようやく、疲れを「自覚することができない」のかもしれないと気づきました。その時には平気でも、後になってとても疲れを自覚した出来事が続いたからです。

 

例えば会いたい人がいると、躊躇なく強行スケジュールを組んでしまいます。夜勤明けのまま、高速をノンストップで走れます。5時間後、先に音を上げるのは、私ではなく軽自動車のほうです。(ガソリンが空になるので、仕方なくPAに寄ります)

人がいると寝られないことが多いので、イベントに参加したときは三日間ほとんど寝ませんでした。さすがに三日目は眠くて仕方ありませんでしたが、二日間ははしゃぎ回っています。

その時はへっちゃらです。しかしその後の数週間、全く動けません。そこでようやく、自分が無理をしていたと気づきます。だいぶ後になってから自覚します

 

そんな経験が続いたことで、なぜか起きられないときのことを振り返ってみました。すると確かに、精神的や肉体的にとても負担が掛かっていたことがわかりました。

もしかしたら、自分は「疲れを自覚していなかった」のではないか。はじめてそう考えるようになりました。疲れたと思わないので、休まずにぶっ通しで頑張れます。でも本当は疲れているので、後から歪みが生じます。そのギャップに戸惑うのです。

 

精神的な部分についても、自覚するのにタイムラグが生じることがあります。( → 参考記事:「うさぎの印象」その4:気持ちの浮き沈みが激しい )  いずれにしても、リアルタイムではとても気を張っているので難なくこなせてしまえます。その出来事が「アーカイブに入った頃」にツケが回ってくる感じです。

 

( → 【うさぎ年表】 での分類:アスペルガーを疑いはじめる)

寝られない、起きられない

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私は幼い頃から睡眠が不規則でした。小学生の頃、スイミングスクールで泳いで疲れて帰ってきたはずなのに、布団に入ってから3~4時間寝付けずにいたことをよく覚えています。

ある時は、このまま家が火事になったらどうしようと何時間も不安に襲われながら、ただ時間が過ぎて行きました。またある時は、目をつぶると昼中に聴いた曲が頭の中で止まらなくなり、一所懸命に歌詞を反芻していました。

 

朝起きられないことも、しょっちゅうでした。それでも母親が怒るので、ギリギリの時間にはなんとか起きて、どうにか通学班の集合場所に行っていました。

朝が弱いのは、性格だと思っていました。意思が弱い。弛んでいる。母親にもよく怒られていました。

でも改めて思い返すと、小学生が夜中の2時や3時まで起きていて、朝の7時や8時に起きるのはやはり大変だったと思います。昼寝をする訳でもなく、激しい全身運動までしている… 今なら考えただけで疲れます。

 

その後もずっと不規則は続いています。やはり何時間も寝付けない日もあれば、一度寝たら目覚ましが鳴ろうと全く気づかずに、14~15時間眠り続けてしまう日も多いです。トイレも行かずに22時間以上寝てしまっていたことも、何度かありました。もちろん遅刻です。

そうかと思うと、1~2時間で起きて目が冴えてしまい、そのまま眠れない日もよくあります。「特に疲れている」とか「寝不足」だとかは関係なく、起きられないときは何日も続けて起きられません。眠れないときは何日も続けてほとんど眠れません。

 

あとは、何かに集中してしまうと寝るのを忘れてしまうことが多々あります。寝なければ明日も仕事なのに、ずっとやり続けてしまうのです。そんなときは徹夜でも平気です。少し仮眠を取るだけで、数日間は他のことが疎かになるくらい、ぶっ続けで集中できてしまいます。

生活のリズムを正しくしようと前の日と同じ時間に布団に入っても、眠れないときは眠れません。意識をすると、焦って余計に狂います。色々と調べて工夫しましたが、結局ダメでした。「続かない」というのではなく、初日からできないのです。

 

今はもう諦めています。徹夜dayとショートスリープdayとロングスリープdayを合わせて、なんとか平均して辻褄が合えばいいかなと思っています。下手に正そうと頑張ると、それがプレッシャーやストレスになって他に響きます。

寝続けてしまうときには、それを許すことを覚えました。その代わりに、起き続けてしまうときにその分を取り戻す。まるで数日間ごとに躁状態と鬱状態を繰り返しているような感覚です。でももう慣れました。

 

これが睡眠障害なのかどうかはわかりませんが、とにかく昔から睡眠には苦労しています。寝ることは大好きなので、本当はちゃんと寝られるのが理想なのですが…。

ちなみにここ数日間は、ほとんど寝ていないです。そろそろ疲れて来ているはずなので、今度は寝坊しないように気を払う時期に入りそうです。

 

( → 【うさぎ年表】での分類:アスペルガーを疑いはじめる )