glay-usagi’s diary

ASDグレーゾーン「うさぎ」の、理解されない人生の記録

20190623192406

文章を書くということ

20200423152215

 

久しぶりに更新します。暫く間が空いてしまった一番の大きな原因は、今回は数独をやっていた訳ではなく、衝動的に小説を書きはじめてしまったことです。

私は先月、生まれてはじめて「知っている人が書いた小説」を読みました。それがとても素晴らしくて居ても立ってもいられなくなり、私も書いてみたい、という衝動をどうしても抑えることができなくなりました。

何かに火が付いてしまうと、他のことに全く気が回らずそれ一辺倒になってしまうのは毎度のことです。今まで小説を書こうなどとは一度も思ったことがなかったにも関わらず、暫くは寝ても覚めてもそのことばかりを考えていました

このブログは同じ「文章を書く」行為のため、うまく頭の切り替えができませんでした。本当は投稿直前まで書き上げてあった記事があったのですが… そのことも頭からすっぽりと抜け落ちていました。とにかく目の前の興味に飛び付くのが私の起動力であり、同時に厄介な特性です。

 

小説を書くのにも、私はとても時間が掛かります。私は取り敢えずざっと書いて、後で推敲ができません。冒頭から一文一文、完璧に納得の行く文章にならないと次に進めません。それはこのブログやバイトの品だしでも同じで、効率が悪いとわかっていても止められません。

ワンフレーズ書く毎にプレビューを開きます。そして、その度にいつも冒頭から読み返します。更新箇所まで辿り着く前に、それ以前の箇所に違和感(言い回しや助詞、読点の位置、漢字・かな・カナ、主語を入れるか・どこに入れるか、単語の重複がないかなど諸々)を覚えるとそこを直し、またプレビューで冒頭から読み返し… なかなか更新箇所にまで辿り着きません。

それを繰り返し、やっと数十分かけて更新箇所の確認が叶います。そこを直すとまた冒頭から読み返し… 段々と更新箇所までの文章が長くなり、スクロールするだけで疲れてきます。本当に非効率です。

しかし、そうしないと気持ちが悪くて先に進む気になれません。靴の中に小石が入ったまま歩かなくてはいけない状況に似ています。体の一部にシコリを抱えているような感覚が付きまとって落ち着かず、その不快感を取り除くことにしか頭が回らなくなります

 

私はこのブログをはじめ、いつも文章を書くときは「大まかな主旨」のみを決め、はじめの一文から感覚的に書いています。「趣旨」ではなく「主旨」の方です。結論や目的は一切考えておらず、ただ「こういった感じのことを書こう」という何となくのテーマだけで書きはじめます。

以前にも書きましたが、私にとって文章は水物』です。恐らく、文章を書くことは私にとっての雑談」なのだと思います。取り敢えず最初の一文を書き、それを自分で読んでみてはじめて次の一文を考えて書き… の連続です。

その都度で逐一読み返しているので、余りに話がかけ離れてしまったときには『全体の長さ』の都合で丸々「下書き」に回しますが、それ以外の理由でそれまでに書いた箇所を大幅に直すことはほとんどありません。

文法的なことや細かい部分は馬鹿みたいにしつこく直しますが、文章自体を弄ること(削ったり追加したり入れ替えたり)は滅多にしません。それはブログでも小説でも同じです。

 

雑談とは相手と行う「キャッチボール」で、一球ごとの積み重ねによって成立するものだと思います。私の文章も、まずはそのときの思い付きで一球壁当てをすることからはじまります。その返ってきたボールの位置によって次の流れを決定し、その積み重ねで全体が成立していきます。(私は本当の雑談は苦手です)

ちなみにこの記事は、何となく「ブログを更新しなかった間、小説を書いていたことを書こう」とだけ決めて書きはじめています。どんな流れになるのか、どの程度まで詳しく書くのか、どう締めるのか、何が言いたいのかなどは全て、実際に書いてみないとわかりません。長さもわかりません。次の一文で何を書くのかは、この後「。」を打って読み返してから考えます。

いつもそんな感じで書いているので、途中で「下書き」が増える現象が尽きないのも、ある意味で諦めています。今回は増えないことを祈っていますが、それも最後までわかりません…

 

予め趣旨や結論を決め、構成を考え、箇条書きで全体像を組み立て、書ける部分から徐々に肉付けを… などといった「正しい書き方」は、何度も何度も拝見しています。実際に、何度も試したことがあります。

しかし、喩え自分の中から発生した主張であろうと、一度組み立てた筋書きの通りに書くことはとてもつまらないです。本当に言いたいことに辿り着くまでの文章が、ただの説明や繋ぎに感じてしまいます。そうなると、その部分は書いていても発見や感動が生まれません。その作業はただの苦行です。

私にとって文章を書くという行為は、相手に伝える手段という以前に、その場で自分の中から言葉や感情を紡ぎ出すことが目的です。完全なる自己満足ですが、私はそれで構わないと思っています。

辞書や論文でないのなら、結末を知らない物語を読むことがわくわくするように、わくわくしながら書きたいのです。それに予め筋立てても結局は一部分だけの採用になり、残りは全て「下書き」に回ります。出来もしないノルマを前もって羅列することで、結果的に視界に入るプレッシャーが増えるだけです。

 

小説は、そんなこんなで6000文字過ぎまで書き進めましたが、今はちょっとお休みしています。お休みのきっかけは、小説を書くのに使っていたアプリ(閲覧が縦書きで表示されるので利用していた)の不具合です。突然おかしな記号や中国語のような文字が文中に入ってきて、書いた文章の一部分が飛び飛びに消えてしまいました。

たまに外部へバックアップを取ってはいましたが、何時間も掛けて書いた最新の段落がほとんど消えてしまい唖然としました。その修復だけで、また何時間も掛かりました。私が寝ぼけて操作を誤ったのなら仕方がありませんが、もし本当にアプリの不具合となると少し気味が悪いです。そこは今後の検討事項です。

幸か不幸かそのおかげで一旦調子が狂ったので、図らずとも過集中から抜け出すことができました。それでなければ日常生活もままならず、ひたすら書き続けていたと思います。

その後、非常事態宣言が出て仕事の様相が大きく変化したことと、プライベートでも対応しなければならないことが増え、ずっとバタバタしていました。私は片手間に小説を書くことができません。頭の切り替えに時間が掛かるので、他に課題がある間はアプリを開いても一文字も書けません。

やっと少し頭が落ち着いたので、ようやく小説の続きを… の前に、このブログを思い出しました。折角なのでまた頭が小説に没頭してしまう前に、暫く間が空いた言い訳も兼ねてこの件を書いておくことにしました。思い出して良かったです。

 

 

いま私が書いている小説は、主人公の一人称視点で淡々と綴っていくスタイルです。集中して書いていると、その世界に引っ張られ過ぎてしまうことがあります。実際の私の言葉遣いや動作が主人公のそれと混合してしまい、どちらがどちらかわからなくなってくるのです。

知人との会話や業務上のやり取りでも、気をつけないと主人公の言葉遣いや動作になってしまいます。いきなりキャラが変わったらビックリされると思うし、自分でもちょっと恥ずかしいです。その辺りの切り替えがただでさえ難しいので、このブログと並行して書くことは止めておきます。

なので、また暫く更新が止まる予定です。はじめて興味が湧いて書きはじめた小説なので、まずは書けるところまで書いてみます。自分が読んで満足できるものが書ければ、私にとってそれが一番嬉しいことです

また外部環境によって中断させられるか、書くことに飽きるか、もしくは奇跡的に完成するかまで… しばしそちらの世界を彷徨ってきます!それまでの間、どうぞごきげんよう。

 


 

追記:昨今の新型コロナに関する行動自粛要請に対して

もちろん収入や仕事上の影響は私にとっても大きな問題で、対処すべき事柄が多数発生してしまいました。しかしプライベート面…「外出を控える、極力他人との接触を避けるといった生活に限って言えば、何のストレスも感じていないのが現状です。

心を許せる数名の人とは、今までと変わらずネット上でのやり取りを続けています。元々が遠隔地でさほど顔を合わせる機会のなかった関係なので、その点ではそれほど影響を受けていません。

むしろ不要不急の付き合いを『してはいけない』状況になったので、今までは「少し無理をしてでも人と関わるべきかなと頑張っていたことをしなくて良い正当な理由を得ました。気分的にとても楽です。

新型コロナの一刻も早い終息を願う思いは私も同じです。大変な思いをされている方のことを思うと、胸が痛みます。ただ、少しだけ静かになった周囲の環境に不謹慎ながらもちょっとだけほっと感じてしまうのが正直な気持ちです。(本当に不謹慎でごめんなさい)

 

( →: 【うさぎ年表】での分類:ブログをはじめる )