glay-usagi’s diary

ASDグレーゾーン「うさぎ」の、理解されない人生の記録

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あらゆることを想定する

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一時期あるCMで流行った言葉を、まさか自分がこんなに実感する日が来ようとは思ってもいませんでした。まさに「想定外」です。人生とは思いも寄らないものです。

私は『マスク』のおかげでずっとコミュニケーションに自信を持って生きて来ましたが( → 参考記事: 『マスク』について ) 、それはすべて「想定の範囲内」に限ったことだと気づいたのです。

 

アスペルガーは「最近どう?」などの曖昧な質問をされると困ると言われます。何について聞かれているのかがわからないそうです。

私は誰と会話をしていても、言葉に詰まったことなどありませんでした。なので「少なくともこの特徴には完全に当て嵌まらない」という確信がありました。それが私が、自分がアスペルガーではないと感じた一番大きな要因です。私は「他人の言語外の意図を汲むことが大の得意」だったのです。

 

しかし… 完全な勘違いでした。本当によくもここまで、あらゆる自己認識を間違えて生きて来られたものだと、呆れて仕方がありません。知らぬが仏、とはよく言ったものです。

人は表面上の付き合いだけをして生きて行く限り、何でも有りで一生を終えられるものなのでしょう。でもそれはすごく寂しいことです。決して分かり合うことのない、触れ合うことのない人生は、無味無臭で味気ないものだと思います。

 

私が今までに答えられた「最近どう?」は、ある状況下限定でした。私には、俗にいう『友達』という存在、つまり他愛もない話をする相手がほとんどいませんでした。関係のある人というと、ある特定のフィールドで繋がっている人ばかりだったのです。

例えば、昔ギャンブル依存だったときには、同じくギャンブル好きの人と付き合います。そこでの「最近どう?」は、言わずもがな収支報告です。もしくは大勝ちか大損した武勇伝(?)です。

…他が思い付きません。今書いていて、他にも「例えば…」と書く積もりでいたのですが、考えても思い付きませんでした。私は人との関わりが、本当に希薄だったようです。

 

最近、多くの人と関わるようになり、この「最近どう?」が増えました。答えられません。でも取り敢えず、笑顔で何か返しているのだと思います、とんちんかんなことを… なぜなら、そこで話が途切れてしまうからです。

後になって、きっとこういうジャンルの近況について聞かれていたのかもしれないな、と考えます。でも聞かれた瞬間は、私にとって想定外の質問です。頭が真っ白になって、何も浮かばないのです。

相手の苦笑いを見てはじめて「しまった」と感じるのですが、だからといって何が言える訳でもありません。想定外のことは困ります。もっと具体的に、最近の○○の進捗状況はどう?と聞いてくれたなら、ある程度は答えられると思うのですが…

 

私は誰かと会話をした後は、できるだけそのやり取りの検証をしています。優位な短期記憶力のおかげで、会話を一からほとんど覚えています。毎回「復習」をすることで、相手の情報についての記憶の定着と、パターンの学習を図れます。

その時に、あそこではもっとこういう風に答えられたなとか、次はこの視点から聞いてみようとか、この流れだと今後こんな展開になるかもしれないなとか… 無限に「予習」をする機会を得られます。

そのため次回に話すときには、その人との会話で話題になりそうなことが、予め大部分わかっています。多少予測を外れても、様々なシミュレーションを繰り返してきたおかげで大抵は「想定の範囲内」に納めることに成功するのです。

なので、会話に困ることはありませんでした。人見知りをすることがないので、初対面は得意中の得意です。そのため私は自分のことを、臨機応変に会話ができる、相手の意図を理解できる人間であると信じて疑ったことがなかったのです。

 

先に相手の近況を尋ねることの方が多いです。聞き役のポジションを得てしまえば、自分が会話の主導権を握れます。常に想定した話の展開で進められます。だから私は、昔から『聞き上手』でした。

世間では聞き上手になるのは難しいと言われていますが、私にとっては簡単です。何万回と繰り返してきた「会話のシミュレーション」を持ってすれば、想定外の話を振られることと比べたら天国です。

そこは強みだと思っています。よく『聞き上手になるには…』と言ったスキル系の解説を見掛けますが、私にとっては何を今更と馬鹿らしく感じてしまいます。私が幼い頃から当たり前にやってきた事ばかりが書いてあります。他の人はなぜそれをできないのかが、不思議で仕方がないのです。

 

 

もし「最近どう?」と聞かれたときに、その後に相手にも聞き返せたら良いのでしょう。…, and you?というやつです。頭ではわかっています。でも、実際にはそこまで気が回りません。後から気づいて、いつも後悔します。

想定外の質問をされると、自分でも何というか… 地に足がついていない感覚というか、本当に頭が真っ白になり、自分でも何を喋っているのかわからなくなります。声が上ずっているように感じるので、なんとか表情筋をフル活用して、動揺を隠すのに必死です。

私はずっと、自分で「コミュニケーションが得意」だという自負があったので、たとえ頭が真っ白でも無意識に笑顔で返してしまうのです。それで一見、とんちんかんなことを笑顔で楽しそうに返しているように見えるのだと思います。それで相手は違和感を持つのかもしれません。本当は全く余裕なんてないのです

 

私にとって、人と関わることはとても疲れることでした。私は自分の疲れに気づきにくいようなのでずっと自覚できずにいましたが( → 参考記事: 疲れを自覚すること ) 、最近やっと気がつきました。

常に「想定」という引き出しをまさぐりつつ、相手の求めている相応しい受け答えを記憶の中から引っ張り出す。その後に何時間もかけて、あらゆる検証をして復習と予習をする… そりゃ疲れるわけです。

 

私は表情を作ることが得意だと思います。声のトーンやテンポ、間や相槌の入れ方などはすべて意識的に管轄しています。無意識に出ると言われる非言語の情報にも、できる限りくまなく気を配っています。それこそ髪の毛の先から、爪の先まで。

人の全身が発するすべての「微かな筋肉の動き」が、相手にどういった非言語のメッセージを送るのか。それを常に研究して意識してきました。そのため、その状況で相応しいと思われる反応を相手に見せることができます。…状況が想定の範囲内なら。

それが、私が身に付けて来た『マスク』です。私は常に、あらゆることを想定しようと必死で生きて来ました。希薄なままで済む関係なら、それで十二分に通用します。でも「普通の関係」では、想定外のことが意外と多いのだと知りました。完全に盲点でした。

その点、文面でのやり取りならその弱点がカバーできます。想定外のことでも記憶を辿り、類似の想定内のパターンに当て嵌めて考える時間が得られるからです。

 

いま私と付き合ってくれている新しい仲間たちは、この記事を読んだらびっくりするのでしょうか?それとも納得がいくのかな?私は最近、安心して付き合える人たちの前ではそんなに「想定」を意識しないで、少しだけ素のままでいられるようになりました。その分、ちょっとおかしい言動が多いとは思いますが…

彼らとは、そんなに疲れないでやり取りができます。やはり、頭をフル回転させまくって人と接することは、とても疲れることだったのだなと改めて感じます。まだこのブログを書いていることを言えていませんが、その内に…。怖いけどちょっとだけ期待してしまう自分に、少し驚いています。

 

( →【うさぎ年表】での分類:アスペルガーを疑いはじめる )