glay-usagi’s diary

ASDグレーゾーン「うさぎ」の、理解されない人生の記録

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真面目な子?

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私は幼い頃から、自分はユーモアがある人間だと思っていました。大人と話すことが多く、いいな!面白いな!と思った言い回しは極力インプットしてきたつもりです。

スイミングスクールでも、年上のお兄ちゃんたちとたくさん馬鹿話をしていました。かなり面白いキャラクターで通っている筈だと思っていたのです。

 

ところが、小学校のクラスメートに冗談を言ったときに異なる反応が返ってきて、ショックを受けたことがあります。話の内容は覚えていませんが、珍しく私に話し掛けてきた子に対して、私は自分でも「合格点」と思えるユーモラスな受け答えをしてみたのです。

しかしその子の反応は、しばしの沈黙のあとの「真面目なうさぎさんでも、そういうこと言うんだ…」という一言だけでした。

私が言った内容については何の返事もなく、話はそれで終わりました。すごくがっかりしました。それから私は、真面目だと言われることが大嫌いになりました。どうしたら真面目に思われないかを、色々考えるようになりました。

真面目だと思われているから、クラスメートが話し掛けてこない。真面目だと思われているから、クラスで浮いてしまう。私の中での「真面目」のイメージは、近寄りがたい人。自分がそう思われるのが、とても嫌でした。

 


 

セルフイメージと、周りの人が抱く印象が、全く違って驚くことが多いです。言われたときは意味がわからず、ただただ驚くばかりですが、最近になってやっと少しずつ「なるほどな…」と思えることが出てきました。

真面目というのも、自分では当たり前だと思ってやっていることが、他の人にとっては「普通そこまでやんないよ!」と思うことなのかもしれません。

 

ただ、去年ある話を読んで、やっぱり「真面目」はつまらないな!と思いました。高級扇風機【The GreenFan】を作ったバルミューダという会社の代表(寺尾玄さん)のお話で、真面目ではなく「真剣」が大切だと知ったからです。

 

真面目」とは → 規格化している状態や、規則を守ること

真剣」とは → 自分が大事だと思うことに直結して動くこと

 

私も「真剣」に考えたいと思いました。その辺りは、結構得意だと感じます。でも、人から真面目だと思われる言動は、相変わらずやってしまうのでしょうけどね…

 

( → 【うさぎ年表】での分類:小学生時代 )

両親との思い出

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私は一人っ子なので、生まれたときから両親と三人で暮らしていました。当時はまだ一人っ子は珍しく、同級生にはほとんど兄弟がいた時代でした。

物心付く前の記憶は当然ありませんが、その頃の写真を見る限り「普通の家庭」だったと思います。大切に育てられたのだと思います。でも私には、両親との良い思い出がほとんどありません。

少なくとも小学校に上がる辺りから、私は両親といて安心できたことがありませんでした。両親は、私にとって脅威でした。常に監視されている気がしていました。怒られた記憶ばかりが残っています。

 

それでも長期休みに家族で旅行に行ったり、誕生日やクリスマスに家でケーキを食べたり… ちゃんと一人娘として大切にされていたのでしょう。なぜなら、写真があるからです。

私の幼い頃の家族の記憶は、そのほとんどが「後から写真で見た」場面… 実体験として覚えているのは、空の色や景色ばかり。写真の場面以外で覚えているのはほんの僅かです。

  

物心付いてから、私は両親に甘えた記憶がありません。ワガママを言ったり、喧嘩を売ったりしたことはあります。でも、抱きしめられるなどのスキンシップは思い出せません。手を繋ぐのは、危ない時。私にとっては「しなければならないこと」でした。

一人っ子でしたので他と比べることもなく、それが当たり前だと思っていました。疑問を持ったこともありませんでした。しかし大人になって、そうではない親子もいると知りました。

お父さんやお母さんと楽しそうに笑い合ったり、くっついたりしている子どもがいると、ついじっと見てしまいます。そして、何とも言えない寂しさを感じます。

 

私はもっと、両親に甘えたかったのだと思います。抱きしめられたかったのだと思います。その反動がセックス依存だったのかもしれないと感じています。

  

( → 【うさぎ年表】での分類:幼稚園時代 )