glay-usagi’s diary

ASDグレーゾーン「うさぎ」の、理解されない人生の記録

20190623192406

疲れを自覚すること

20190627024424

 

自分はフィジカルが強くて、疲れることはあまり無い人間だと思っていました。3歳から本格的に水泳をやっていたし、長距離が得意でマラソンも早かったので、体力には自信ありました。

10歳のとき『最大酸素摂取量』というのを、水中の風洞みたいな装置で計測したことがあります。オリンピック選手並みだと言われました。持久力があるということです。

それは「アスペルガーの女性は疲れやすい」という特徴に反します。さすがに激しい運動をすればくたくたになりますが、日常生活で疲れを感じることは、ほとんどありませんでした。

 

それでも幼い頃から、睡眠は不規則でした。( → 参考記事: 寝られない、起きられない ) 肉体的に疲れていないのに朝起きられないのは、だらしない人間。ずっとそう思っていて、コンプレックスに感じて来ました。

最近ようやく、疲れを「自覚することができない」のかもしれないと気づきました。その時には平気でも、後になってとても疲れを自覚した出来事が続いたからです。

 

例えば会いたい人がいると、躊躇なく強行スケジュールを組んでしまいます。夜勤明けのまま、高速をノンストップで走れます。5時間後、先に音を上げるのは、私ではなく軽自動車のほうです。(ガソリンが空になるので、仕方なくPAに寄ります)

人がいると寝られないことが多いので、イベントに参加したときは三日間ほとんど寝ませんでした。さすがに三日目は眠くて仕方ありませんでしたが、二日間ははしゃぎ回っています。

その時はへっちゃらです。しかしその後の数週間、全く動けません。そこでようやく、自分が無理をしていたと気づきます。だいぶ後になってから自覚します

 

そんな経験が続いたことで、なぜか起きられないときのことを振り返ってみました。すると確かに、精神的や肉体的にとても負担が掛かっていたことがわかりました。

もしかしたら、自分は「疲れを自覚していなかった」のではないか。はじめてそう考えるようになりました。疲れたと思わないので、休まずにぶっ通しで頑張れます。でも本当は疲れているので、後から歪みが生じます。そのギャップに戸惑うのです。

 

精神的な部分についても、自覚するのにタイムラグが生じることがあります。( → 参考記事:「うさぎの印象」その4:気持ちの浮き沈みが激しい )  いずれにしても、リアルタイムではとても気を張っているので難なくこなせてしまえます。その出来事が「アーカイブに入った頃」にツケが回ってくる感じです。

 

( → 【うさぎ年表】 での分類:アスペルガーを疑いはじめる)