glay-usagi’s diary

ASDグレーゾーン「うさぎ」の、理解されない人生の記録

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『わからない』という恐怖に近い不安

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余談から入りますが、私は「物が増える」と落ち着かなくなります。昔から本が好きで、何かに興味を持つとその分野の本(主に古本)をとことん買ってしまうのですが、そうするとどんどん本が増えていきます。

積まれていく本の山を見る度に、段々とそわそわイライラしはじめます。そしてその「物のプレッシャー」に耐え切れなくなると、一気に9割以上を処分してしまいます。もう何度やったかしれませんが、おかげでいつも本棚はスッキリです。

今回この話を書くのに、手元のノートに書いたメモしかなくて困っています。どの本に書いてあった話なのかがわかりません。すごくわかりやすくて、読みやすい本だったのに… 探しても無いので、処分してしまったのでしょう。そのため、メモに書いたこと以外の引用ができません。本の紹介もできません。それが残念です。

 

私がアスペルガーという存在を知ったのは、本当に偶然でした。自分がおかしいとは微塵も思っていない頃でしたので、当初はどちらかというと「当て嵌まらないこと探し」をするためにたくさん本を読みました

それでもやはり、調べれば調べるほど「当て嵌まるのに、当て嵌まらない」ことが多く、誰かに聞くこともできずに疑問だけが募っていきました。後になってわかるのですが、私は『マスク』がとても多いために「一見、当て嵌まらない」ように思えることがとても多かったようです。( → 参考記事:『マスク』について )

 

それに、私は衝動性がとても強いです。ADHDの「衝動性」の特徴に、ほとんど当て嵌まってしまいます。でも「不注意」は全く当て嵌まりません。「多動性」は僅かに当て嵌まるものもありますが、問題のない程度だと思います。

なので衝動性だけを見ると、どちらかというとADHDに近いのかなと感じたこともあります。もしかしたら「衝動性」だけ少し入っているのかもしれませんが、それでもやっぱりADHDは違うと感じていました。なんと言えばいいのか…「次元の違い」みたいな感覚でしょうか?

 

そんな頃に読んだのが、その本でした。アスペルガーとADHDの特性が一覧になっていて、とても見易い本でした。特徴のひとつひとつの項目は、今でこそYesが多いですが、当時は半分以上をNo(そんなことはない、できる)と思っていた頃です。

一覧のまとめに、アスペルガーとADHDの「不安の正体」の違いについて、ひとことで言い表すと…といったような一文がありました。

 

アスペルガーの不安『わからない』という恐怖に近い不安 

 

この一文を見たときに、なぜだか涙が止まらなくなりました。深夜のファミレスで、ボロボロ泣いてしまったことを覚えています。悲しいような、嬉しいような、ほっとしたような何とも言えない感情が溢れてきました。そのときに、はじめて「もしかしたら私はアスペルガーなのかもしれない…」と思いました。

 

当時はまだ多くの項目をNo(そんなことはない、できる)と思っていましたが、それでもどこかで違和感は感じていたのだと思います。「自分はできる」という自信とは裏腹に「…でも、なにかがおかしい」と、無意識では感じていたのかもしれません。

ただ、それを認めることはできませんでした。私にとって「ちゃんと理解してやっている」イコール「できる」だったからです。それに対する結果(周りの反応や、その後の状況)のことは、全く考えられていませんでした。

そんな状態の当時でも、この一文はとても胸に刺さりました。今ならそれがわかります。本当に「わからない」のです。なぜ大好きな人に、突然避けられてしまうのか。なぜ自分では一番正当だと思ってやったことが、人からズレてると言われてしまうのか。

どんなに調べて学習しても、工夫をしてみても、一時的には良くできても結局は同じです。すごく努力して「わかった」と自信を持てても、何かが違うのです。どんなに「わかった」を積み重ねても、わからない。何がわからないのかが、わからない。それがとても怖いのです。

 

今は、何がわからないかはわからなくても「自分はわからない」ということはわかります。相変わらず恐怖はありますが、以前みたいにそのままどんどん突っ走ったり、 破壊衝動に走ったりすることがだいぶ減りました。

ただ、根拠のない自信は以前の方があったと思います。不安を感じることは却って増えてしまいましたが、それでも取り返しの付かない事態まで物事を深刻化してしまうよりかは、ずっと良いと思えています。

 

( →【うさぎ年表】での分類:アスペルガーを疑いはじめる )