glay-usagi’s diary

ASDグレーゾーン「うさぎ」の、理解されない人生の記録

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うさぎも自分の名前が言えない

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志乃ちゃんは自分の名前が言えないという漫画をご存知でしょうか?映画化もされたそうです。有名な作品のようなので、ここでは詳細は割愛します。タイトルも長いので『志乃~』と略します。

現在私は週2日、辺りに漫画がゴロゴロ転がっている環境で働いています。中身を読むのはNGですが、外側は見放題です。というより、表紙に記載されている情報を読まないと仕事ができません。

はじめて『志乃~』のタイトルを見たとき、これまた長いタイトルだなと思いました。しかし、その文字の意味を認識した途端、びっくりして急いでその本を処理しました。見てはいけない物を見てしまったような気がしたからです。

 

その後も業務上どうしても目に触れる機会があり、ついそのタイトルを目で読んでしまうようになりました。人は避けたいと思う物ほど、何故か気になってしまうものです。

『志乃~』は、1巻完結の漫画です。たった一冊です。それがどうしても視界に入って来ます。2ヵ月くらい横目でチラチラとやりすごしていましたが、とうとう誘惑に負けました。

職場の漫画は読めないので、ちゃんとレンタルショップに探しに行きました。しかし見つからず、仕方がないので休憩時間にこそこそと… (バレたら怒られるので内緒です) 本当は買えば良かったのですが、所持する勇気まではありませんでした。

 

『志乃~』の主人公である志乃ちゃんは、上手く言葉を話せません。苗字である「大島」の『』(主に母音ではじまる言葉) がスムーズに出ずに「どもって」しまう、吃音症の一種です。

彼女は、子音ではじまる言葉はどもらずに言えます。独り言のときは、母音でも平気です。歌も平気です。しかし「人に話さなければいけない状況」になると、どうしてもはじめの母音が言えずにどもってしまうのです。

物語の冒頭、高校一年生になった志乃ちゃんは「自己紹介」で自分の名前が言えません。彼女は前夜に一人でたくさん「自分の名前を言う練習」をします。練習は一人なので言えるのですが、やはり本番では言えません

どうしようもなくなった彼女は、とうとう苦肉の策で「志乃、大島です」と下の名前から名乗ります。母音を避け、子音からはじまる文章にすり替えたのです。

これは『苦手な言葉を置き換える』という、吃音者がよく使う手段です。彼女はふざけている訳でも、外国人の真似をしている訳でもありません。そうしなければ永遠にどもり続けてしまうので、そうする以外に仕様がなくなったのです。

 

このエピソードを読んで、私は非常にびっくりしました。私のことが描かれているのかと思いました。私は、志乃ちゃんとは吃音のタイプが異なります。しかし『状況』『そのときの思考回路』『対処法』の全てが完全に瓜二つだったのです。

志乃ちゃんは「お、お、お…」と連呼してしまう連声型のようですが、私は「お…(無音)」と後の言葉が続かなかったり、はじめの言葉が発声できずに固まってしまったりする無声型(難発型)です。

私は常にではありません。症状が出ないときはほとんど出ません。平気な言葉は平気です。しかしどもる言葉はどもって、それが暫く続きます。いつからかは自分でもわかりません。でも、幼稚園のときには既にありました。

 

私も志乃ちゃんと同じように、母音で躓きます。子音は平気で、独り言や歌なら問題ありません。私も母音からはじまる単語を避けるためすり替えをよく使います。類義語に変えたり、訓読みもしくは熟語に変えたり、前にわざと形容詞を付けた文章にしたり…

「うさぎ」は適当に付けたペンネームですが、私の本名も『下の名前』が母音ではじまります。私は苗字のあと、下の名前が言えませんでした。続けて言えば平気なときもありましたが、下の名前だけを言う場面は地獄でした。

今は、だいぶ吃音は減りました。しかし未だに少し残っています。それでも私は、もう30年以上の大ベテランです。ある程度は相手には気づかれない「スキル」と「慣れ」を身に付けています。

今の私を知る人は、私が吃音を持っているとは恐らく知らないと思います。私も今はそんなに症状が出ないので、自分でも意識せずにいられる時間が増えました。おかげで好循環に入っているようです。

 

しかし、酷いときは本当に酷いものです。私も大人になってから、何度も志乃ちゃんみたいに「自分の名前を言う練習」をしたことがあります。

練習でも、言えなくなるときは全く言えません。何百回も練習して、それでも言えないともう練習する気力を失います。

大の大人が、一人で何時間も自分の名前を言う練習をする。名前以外でも、一つの簡単な単語を何度も繰り返して「言う」練習をするのです。…吃音者でない人にとっては、到底信じられない光景だろうことはわかっています。

でもきっと、多くの吃音者は練習をしたことがあると思います。練習をしたところで、そう簡単には喋れません。それでも練習せずにはいられないほど不自由で厄介でいたたまれなくて、どうにかしたいと願うのです。

 

吃音が完治するのかは、自分でもわかりません。でも「治そう、治そう」と頑張っていた頃よりも、もう仕方のないことと諦めてからの方が症状は減りました

『志乃~』は著者である押見さんが、志乃ちゃんと同じ吃音者であることから生まれた作品だと知りました。志乃ちゃんを可愛く描いてくれて嬉しいです。そして、映画化されるくらい既に世間に認知されていたことも有難く思います。

私自身、吃音についてはほとんど人に話したことがありません。親とも話したことがありません。ずっと「いけないこと」「恥ずかしいこと」だと思っていたので、できるだけ隠して自分の中でも『無いこと』にしていました。

でも数ヶ月前に『志乃~』を読んで、私もいつか自分の吃音について書いてみようと思いました。次回、私の体験を綴ります。何から書けばいいのか… これから考えてみます。( → 次の記事: チック症について)  

 

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