glay-usagi’s diary

ASDグレーゾーン「うさぎ」の、理解されない人生の記録

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「あー、っぽいかも…」

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前回の続きになります。私の高校時代からの友人、マリとのエピソードです。

 ( → 前回の記事: 唯一の旧友 「マリ」 )

 

「また離婚をして引っ越しました」と年賀状に書いたら、彼女が家に遊びに来てくれました。私は久しぶりの一人暮らしにほっとして元気でしたが、彼女なりに心配して様子を見に来てくれたのだと思います。

彼女がお惣菜を買ってきてくれて、一緒にお昼ご飯を食べながら2~3時間ほど話をしました。その時は本当に久しぶりで、いつ以来なのか二人の記憶が一致せずに随分と考えました。

結局、どうやら道でバッタリ会って以来5年ぶりだと判明し近況報告をはじめるも「あれ?どこまで話してたっけ?」とお互いにわからず、それだけでかなり時間を費やしました。珍しく、双方向のおさらいです

 

その中で、マリの旦那さんと中学生になった長男の話になりました。私も面識があるので少しは知っています。「実は少し前に、旦那がADHDの診断を受けたんだよね。長男も、診断はついてないけどどうもグレーゾーンっぽいと彼女は言いました

私はもちろん、それがどんな問題なのかを知っていました。時を同じくして、まさに発達障害について貪るように調べまくっていたからです。その頃は丁度、精神科でWAIS-IIIテストを受け、結果を聞いたままドロップアウトしてしまった直後でした。

しかし彼女との20年以上の付き合いの中で、それまで「発達障害」と言うワードが出たことは一度もありません。何てタイムリーな話をするのだろうと思いました

それでも私は、他人事のような顔でマリの話を聞いていました。自分も発達障害のグレーゾーンで悩んでいるとは、まだ人に言える心境ではありませんでした。それに突然そういう話になったことにびっくりし、彼女の話を聞くだけで精一杯でした。

その割には特性やWAIS-IIIなどの専門的な話がすんなり成立していたと思うのですが、マリにとっては私がそのくらい知っていても特に違和感はないようです。普通はそこまで知らないものだと思います。たまに彼女は、私を買い被るきらいがあります。

 

一通り話が終わると、他の話題に移りました。何の話題になったのかは覚えていませんが、少しして私はトイレに立ちました。

その間、彼女は手持ち無沙汰だったようで、私の部屋を一瞥したようです。戻って来た私に向かって、驚いたように壁際の一角を指差し「…何でこれがあるの?」と尋ねてきました。

彼女が指差したのは、私が適当な端材に釘を打って作った机上の小さな本棚です。その中で大半を占める心理学の本に紛れ、僅か3冊だけ女性の発達障害関連の本」がありました。

本当に全く目立たないので、私はまさかそれに気がつく人がいるとは思ってもいませんでした。それもほんの1分足らずの時間です。自分で言うのも何ですが、私の部屋には他にもっとたくさん突っ込み所がある筈にも関わらず…

 

つい今し方までその話をしていたので、さすがに私もばつが悪くなりました。しかしそのおかげで幸いにも、彼女が発達障害についての知識をかなり持っていることはわかりました。

もうこれ以上は誤魔化しても良くないと観念し、私は正直に話しました。自分がアスペルガーのグレーゾーンではないかと疑って、色々と調べていたこと。検査を受けてドロップアウトしたこと。さっきは言えなくてごめんね、と。

私はとても怖くなりました。まさか彼女に打ち明けることになろうとは、その瞬間まで考えてもいませんでした。全く心の準備ができていません。

それにきっとそうだよと言われるのも違うんじゃない?と言われるのも、どちらも怖かったのです。彼女が何て答えるのか、不安で気が気ではありませんでした。

マリほど私のことを知っている人が言う言葉は、恐らく的を得ているのではないか?でも私は、彼女とだけは巧く行っています。彼女は知らない困りごとがいっぱいあるのに、もし笑い飛ばされてしまったら何と答えれば良いのだろう…

 

マリは少しだけ驚いた表情をしましたが、すぐに納得したように頷いて言いました。

〖あー、確かに。言われてみれば、っぽいかも…〗

私は何と思ったら良いのかわからずに、彼女の言った「っぽいかも」という言葉をただ頭の中で反芻していました。

〖うん、ヤバかったよね…〗

もうどんな心理状態だったのか、自分が何か喋ったのかさえ覚えていません。ところがその後に彼女が続けた言葉は、私が全く予想だにしなかったものでした

〖世界史のテストのときの暗記力とか、マジで半端なかったもん(笑) そういう所とか、かなり「っぽい」よねー〗

…私はポカンと口を開けて、暫く絶句しました。マイナス面を指摘されるとばかり思っていたので、彼女が言ったことが直ぐには理解できませんでした。

 

彼女は、私の得意な面を言ったのです。確かに世界史のテストは、私にとって「攻略しがいのある恰好のパズル」でした。当日漬けの即興暗記で私は毎回、面白いほどの点数を叩き出していました。

点数はマリも知っていました。私が答案返しのときにいつもいないので面倒に思った担任が、私の答案用紙を全てマリに預けるようになったからです。

放課後のファーストフード店で、マリから小言と答案用紙のセットを受け取ることは、当時の私にとって数ヶ月毎の日課のひとつでした。本当に彼女は感心なほど、当時の細かいことをよく覚えているのです。

 

 

その後のことは、何を話したのか全く覚えていません。彼女を送り出したときの記憶もありません。気づいたときには日が傾きかけた部屋で一人、まだこんな時間かぁ… と時計を眺めていました。

それ以来、スーパーで会ったときも先日飲みに行ったときも、彼女の家族の話は聞きますが、私の件については一度も触れることがありませんでした。彼女も意図的に触れないのか、たまたまなのか。それとももう忘れているのかもしれません。

私も、自分からは話しません。未だに私はどうやって切り出したらいいのかがわからないのです。それに、マリとはその話をする必要がない気もします。私たちは基本的に、相手の生活や悩みにそこまで関心がないからです。

 

私たちは会えばたくさん話しますが、相手の話す内容に立ち入ることも、アドバイスをすることもありません。「ただ喋るだけ」です。

相手がどんな生活をしていようと、どんなトラブルを抱えようと、それで疎遠になったり失望したりすることはないと知っているからです。もしそうなるのなら、20年前にとっくになっています。元々が違う世界の住人であることを承知の上で、私たちの付き合いははじまっています。

だからいつ会っても、そのときに自分が話したいことを話し、聞きたいことを聞いて、返したいことを返したら終わりです。次回の約束もしません。別れた後のありがとうメールもしません。

それでも私たちはきっと、また会います。そしてまた近況報告をし、同じようなおさらいを繰り返すのだと思います。私はそんな関係が心地良いです。それはマリにとっても同じだと言うことを、やはり私は知っています。

 

マリと私は恐らく、お互いに懐中電灯のような存在なのだと思います。普段は戸棚の奥にしまったまますっかり忘れていますが、何かあったときにはとても重宝します。一件が治まると、また元に戻して日常生活を送ります。

しかし懐中電灯をしまった場所は、決して忘れません。そしてたまにふと思い出し、ちゃんと明かりが点くのか状態を確認してみたりするのです

辺りが闇に包まれれば包まれるほど、その光の明るさと温かさは心強く感じられるものだと、私たちは知っているからです。

 

( →:【うさぎ年表】での分類:アスペルガーを疑いはじめる )