揃っていないと気持ち悪い!
アスペルガーについての本を読んだときに「これは凄くわかる!!」と思ったことがあります。ハンガーについてです。
私は、クローゼットの中がきちんと揃っていないと、気持ち悪くて仕方がありません。まずは、ハンガーの種類です。普通の形のハンガーでも、スカート用やパンツ用のハンガーでも、同じシリーズのもので揃っていないとダメです。
そして、向きです。ハンガーの向きをバラバラに掛けることなどあり得ません。服の向きも揃えます。どんな種類の服でも、必ず前見頃が左側にくるように掛けます。ひとつでも違うと気に入りません。
最後に、服の順番です。これは衣替えの度に若干変わりますが、丈の長さと色でおおよその順番が決まっています。洗濯の後に戻すときは、必ずそのセオリーの範囲内に戻します。おかげでいつもクローゼットの中は綺麗です。
これは子供の頃からでした。はじめてクローゼットができたのは中学一年生のときで、気づいたらそうしていました。自分の服は自分で片付けるのが当たり前だったので、親に手を加えられたことはありません。
親の部屋のクローゼットは、私からすると信じられない状態でした。ハンガーの種類も、ハンガーや服の向きも、服の丈も色も、それこそシャツもパンツもワンピースもお構い無しです。私の母親は、そういうところに無頓着です。
しかし何年かして、母親と父親のクローゼットが別になり、それぞれが自分で管理するようになったようでした。それを見て、私は思わず笑ってしまいました。父親のクローゼットが、私の以上に整然としていたからです。
私は、幼い頃から父親が大嫌いでした。しかし、そういうところは嫌というほどそっくりです。父親についてはまたいつか書きますが、私以上にアスペルガーの要素が多分にあると思います。遺伝だとしたら父親からです。
自分のクローゼットは自分で管理するので問題ないのですが、自分以外のクローゼットはそうもいきません。結婚していたときは辛かったです。元夫のクローゼットは、当然ですが彼も触るからです。
元夫は家事を一切やらない人だったので、彼の服も洗濯からクローゼットへしまうまで全て私がやっていました。私は自分のほどではないにしろ、どうしてもある程度は揃えてしまいます。
しかし彼は無頓着です。出しかけた服を戻すとき、適当な場所に適当な向きで戻します。それに気づく度に私はイライラし、我慢できずにちゃんと直します。ずっとその繰り返しでした。
恐らく彼や、私の母親みたいな感覚の方が、世間では「普通」なんだと思います。私が細か過ぎるのだとわかっています。でも、どうしても気持ちが悪いのです。揃っていないと落ち着かないのです。
それでも、服はまだ良い方です。いっぺんに何着も着ることはありませんし、普段何もしなければそこに大人しく収まっていてくれるからです。
日常で使うものは大変です。私は全ての物が定位置に綺麗に収まっていないと嫌なのですが、生活するということは「物が動く」ということです。
今は一人暮らしなのでまだマシな方ですが、それでも毎日のようにリビングの椅子の上で暫く呆然としています。実は、今もその状態です。今日は一番大変な『水曜日』だったので特にです。
私は「片付けること」が複数溜まると、途端に動けなくなります。自分でも神経質だと思うくらい綺麗でないと落ち着かない癖に、複数のことを目の前にすると何もできなくなってしまいます。
『魔法』が掛かるとバカみたいに動くのですが、今は掛かっていません。魔法とは、マリオの「スーパースター状態」みたいなものです。(私は初代のスーパーマリオしかわかりません。星のアイテムを取ると、敵に当たっても死ななくなる状態をイメージしています)
これは、期間限定の『何でも出来るモード』でとても有効です。大掃除や衣替え、物の定位置の変更ができるのは、全てこの状態のときです。常に魔法を掛けていれば良いのですが、掛け過ぎると後に疲労というツケが回ってきます。だから期間限定なのです。
先週の私は、魔法が掛かっていたのでとても動きました。壊れたまま使っていた扇風機を買い替えて処分し、冷蔵庫の中を全て出して掃除し、お蔵入りしていたBluetoothのキーボードを引っ張り出してスマホにペアリングしました。
その反動もあり、今週は諦めています… スマホを充電するのさえ一苦労で、ここ数日で何度も電源が落ちました。そもそも『魔法』です。もし常用できるのなら、それは魔法ではなく性格です。
…何を書いているのか、自分でもわからなくなりました。①やることが複数溜まると動けなくなること。②神経質過ぎるこだわりと魔法について。この二つを、またの機会に書こうと思います。
※ 更新しました。( → ①: やることがたくさん… )
とりあえず今はもういい加減、逃げるのをやめて部屋を何とかしたいです。折角の休みなので、仕事が終わる前から「明日はあれもこれもやりたい!」とわくわくしていたのに、まだ何もはじめていません。
「やることリストを作ろう」と思って、既に半日以上が経ちました。私はまずリストを作らないと、何から手を付けたら良いのかがわかりません。気持ちだけが焦って、どんどん部屋が散らかる一方です。余計に気持ちが滅入ります。
ブログを書くことは好きです。やらなければいけないことが山ほどあるにも関わらず、書きはじめたら止まりません。今日もやることリストを作る前に、次のブログの「内容」だけ先に決めておこうと思いアプリを開いたら最後、気づけば今に至ります。
画面を見ているときは良いのですが、ふと画面から目を離して部屋を見渡すと泣きたくなります。また順番を間違えているな、と感じます。
ブログを現実逃避の道具に使ってしまったようで、何となく気が引けます。でも、それを許せる余裕を持つことも必要だと思います。私の好きな名言に倣って、何もできなかった半日を「ブログを書けたので有意義だった」と思うことにします…
『何も出来ない日や時には、後になって楽しめないようなものを作ろうとするより、ぶらぶらして過ごしたり、寝て過ごす方がいい』
(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)
( →:【うさぎ年表】での分類:アスペルガーを疑いはじめる)