glay-usagi’s diary

ASDグレーゾーン「うさぎ」の、理解されない人生の記録

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リセット症候群

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三年前、人の心理について勉強をしていた頃、ネットではじめて『人間関係リセット症候群』という言葉を見て「あ、私だ」と思いました

それはそれまでの人間関係、縁などを突然全て切ってしまう人の傾向を表した、比較的新しいネーミングです。SNSのアカウント削除をはじめ、連絡先の意図的な変更や、頻繁な引っ越しなどを指すそうです。医学的な病名ではありません。

 

私が意図的に初の『リセット』をしたのは、小学校6年生のときでした。たまたま親の仕事の都合で翌年の6月に、徒歩20分離れた「中学校の学区外」への引っ越しが決まったときです。

私の通っていた小学校からは、私立へ進む人を除いて、住所によって東西のどちらかの公立中学校へ進学するのが決まりでした。今は自由に選べるようになっているそうですが、私の頃は住所が基準でした。

私はちょうど中間地点で、どちらでもさほど距離も変わらず自由に選べる環境でした。通常ならそれぞれの校風やお目当ての部活の強弱、共に進学する友達の状況によって決めるのだと思います。しかし私はそれらに全く関心がなかった心境で、突如決まった引っ越しでした。

 

これ幸いと、私は「引っ越し前の新学期4月から、新しい住所で学区内になる中学校へ進学する」旨を、嬉々として条件付きで小学校の担任の先生へ伝えました。条件とは、先生から誰にも伝えないことです。私はこの喜ばしい決断を、中学校の入学式までなるべく誰にも知られたくありませんでした。

私は「なぜか真面目だと思われていた」小学校時代の自分のイメージ( → 参考記事: 真面目な子?  )  を、後に大好きになった漫画『今日から俺は!!』の主人公たちのごとく一新したかったのです。誰も知らない環境へ行きたかった。その理由を尋ねられるのが嫌でした。

そこまでしておいて何ですが、結果的に私は同級生たちから、どちらの中学校へ行くのか尋ねられることはありませんでした。そのくらい私には離れて寂しいと感じる友達も、そう思ってくれる友達もいませんでした。もしも引っ越しがなかったら、私は中学校へ進学することさえ渋っていたかもしれません。

 

二度目の『リセット』は、私の意図しない「母親の決定」によるものでした。中学3年生の夏の大会が終わり、結局その年の全国中学大会の出場タイムを切れず関東大会出場で甘んじた私を見限った母親が、強制的に月謝の打ちきりを決め、私をスイミングクラブから退会させたときです。

正確には覚えていませんが、突然の告知からの実行だったと思います。3歳からはじめた水泳で最長12年間、クラブが離れてもお互いに支え合い過ごしてきた幼なじみたち。小学生の数年間、毎日のように練習後おおはしゃぎしながら一緒に帰っていたお兄ちゃんたち。

近隣都道府県の系列クラブ合同合宿や大きな大会で、年に数回しか会えなくてもその度に苦楽を共にした、ライバルでもあった同志たち。クラブも地域も違うのに本当に仲が良く、大会で会う度にいつも色んな話をしていた、私にとっては珍しい同い歳の女の子と、ひとつ上のお姉ちゃん。

ほとんど友達のいなかった学校とは対照的に、スイミングクラブでの私には常に男女問わずたくさんの仲間がいました。その大好きだった数十名の仲間たちに、私は何も伝える機会のないまま水泳というフィールドを去りました。

まだ今のように、メールなどの通信技術が発達していない時代でした。学校も違います。私は彼らに関して、どこの高校へ進学したのか、その後も水泳を続けていたのかさえ未だに知りません

 

当時は毎日のように練習や大会の夢を見たり、練習に遅刻しそうになる夢を見て飛び起きたりと、とても混乱しました。今でもたまに、全然練習していないのに大会で泳がなくてはならなくなり焦る夢を見ます。

しかし私は、水泳を辞めさせられたことを直ぐに受け入れました。母親の決定に振り回されるのは毎度のことで、既に慣れっこになっていたからです。月数千円の月謝を払う価値がないと言われてしまったら、稼ぎのない私には何も返す言葉がありませんでした。

それに、忘れてしまえば悲しい気持ちにならずに済みます。未練を持つから悲しくなるのです。母親の決定は絶対で覆らないと知っていた私にとっては、忘れることが唯一の逃げ道でした。一切の関係を絶つ方が、精神的にも楽で諦めが付いたのです。

 

 

高校は、300名以上いた中学校の同級生の中でほとんど接点のなかったふたりだけと同じ、片道一時間以上離れた進学校に進学しました。中学校では何人か友達ができましたが、それよりも嫌な記憶が多かったため、私は再び『リセット』を選びました

一番よく一緒に過ごしていた友達が、遠くへ引っ越してしまったことも理由でした。私は小学校の頃からなぜか、一番仲良くなった子がことごとく転校してしまいます。

これはただの偶然ですが、小学校1~2年のクラスで唯一仲良くなった子も、3~4年のクラスで唯一仲良くなった子も遠くへ引っ越してしまいました。その度に折角できた友達がいなくなり、またひとりぼっちになりました。

 

高校生になってもゴールデンウィーク頃までは、中学校のときの友達の何人かと学校帰りに会っていました。その頃、その中の男友達のひとりと何となく付き合っていて、近くの大きな公園の薄暗くなった草陰で初体験を経験しました。

その日を最後に、私は彼と会っていません。数日後、彼から電話で「元カノのことがずっと好きで、やはり諦め切れない」と言われ私はフラれました。彼女は仲良しグループの友達で、以前付き合っていたことは公認でした。私も彼がとても彼女を好きだったことを知っていたので、特に何も言いませんでした。

高校もバラバラで、新しい環境に馴染みはじめた時期とも重なり、それ以降は誰とも連絡を取らなくなりました。そのため私には、地元の友達や幼なじみがひとりもいません

 

高校を卒業してからは、私はバイト先が変わる度に『リセット』をしました。賃貸家賃の更新料を払うのが嫌で2年を待たずに引っ越しを繰り返していたので、折角続いていたバイトも遠くて通えなくなり、最長でも一年ちょっとで転職を繰り返しました。

私は物理的な距離が離れたら、それまでの関係をすべて白紙に戻すことが癖になっていました。それに、そうする以外の方法を知りませんでした。

環境が変わっても相変わらず付き合いを続けられたのは、高校時代にできた数少ない友人5人だけでした。その内のふたりは卒業後すぐに関西と九州へ引っ越してしまったため、年賀状のやり取りだけの付き合いでした。

私は『リセット』をすれば、それまでの嫌だった記憶もリセットできることを知っていました。私のアドレス帳は高校を卒業してから20年近く、常に高校時代の5人と「現在のバイト先の人」のみでした。友人も、彼女たち以外に増えることはありませんでした。今でも続いているのはひとりだけです。

 

幼少時代を共に過ごした地元の幼なじみの存在が、大人になってからどういった感覚を抱くものなのか、私には想像も付きません。また「前の職場の同僚と飲みに行く」という話を聞く度に、少し羨ましく感じます。

一年ちょっと前から、私にも新しい仲間がたくさんできました。彼らとはこの先もずっと、たとえ環境が変わっても付き合い続けることができたらいいなと思っています。私はもう『リセット』をしたくありません。そして、そうしなくても良い関係を築けるようになりたいのです。

 

( →【うさぎ年表】での分類:心理学を学びはじめる )