glay-usagi’s diary

ASDグレーゾーン「うさぎ」の、理解されない人生の記録

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「対人モード」について

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私には物心付いたころから、ひとつのスイッチがあります今ではなんとか意識して切り替えができますが、最近までは完全なオートメーションでした

小学校に上がったくらいのときには既に、薄々そのスイッチの存在に気がついていました。しかし自分の意思では操作のできない自動操縦の代物だったので、ずっとただ「あるなー」と思うだけでした。

それは『対人モード』の切り替えスイッチです。そういった類いの「意識の切り替え」というものは、誰にでもあると思います。しかし、私のはちょっと違いました。単純に人と接するときのモードではなく「完璧に相手をもてなすモード」なのです。

 

ONに入ると、とにかく相手の気分を良くさせるためだけに私は存在します。「相手をもてなす」とは、相手の気分を害することのないように全神経を集中させ、今まで得た知識や経験のすべてを駆使して接することです。つまり、その時々で持ち得る『マスク』を総動員して、私は大切な上客をもてなすのです。

私の上客はたくさんいました。親戚だったり、近所の人だったり、同級生の親だったり、学校の先生だったり、親の知り合いだったり、お店の店員さんだったり、たまたま用があって話すことになった見知らぬ人だったり… 要は、自分に関わるほぼすべての大人です。

同級生に対しては、微妙な加減でした。そもそもほとんど接点がなかったことと、私にとっては周りが驚くほど幼く見えていたことで「手抜きのもてなし」といった感じです。中学生になると先輩という存在が現れますが、私は文武両道で学校でも有名な生徒だったためか、ほとんど関わられたことがありません。

唯一の例外は、スイミングクラブの仲間たちでした。そこに一歩入った瞬間から出る瞬間まで、私の対人モードは常にOFFでした。子供だろうと大人だろうと関係なく、私にとってはとてもリラックスして楽しく過ごせる大好きな仲間たちばかりだったからです。

 

そして、私にとっての一番の上客は母親でした。私の母親はとても「正しさ」に厳しい人でした。( → 参考記事: 母親の教育方針①  )  自分の親に対してでさえ「気分を害させることは悪いこと」だと教わって育ちました。正しい表情で、正しい言葉遣いで、正しい所作で、正しい受け答えをする。そうしないと何時間でも怒られ続け、どんなに眠くても寝かせてもらえないことがありました。

親でもそうなら、他人に対しては尚更です。他人に対しては、私はほとんど誰に強要された訳でもなく、自発的に対人モードで接するようになった気がします。そのため私は家でも外でも、常に気を抜くことなく「正しく」振る舞っていました。それが常習化して、いつの間にか自動操縦になったのだと思います

「癖」になるということは、それだけの回数その行為を繰り返してきたからだそうです。私は自動的に対人モードをONに入れてしまうほど、その行為を繰り返してきたということになります。そして徐々に、その状態が本当の自分の性格だと信じるようになりました。

 

恐らく、私は1日の大半をONの状態で過ごしていたのだと思います。私の幼いときの記憶には、嫌だったり悲しかったりした出来事を除いて、自分以外の「人」があまり登場しません。スイミングクラブでの楽しかったことは多少覚えていますが、それ以外の場所での記憶はとても少ないです。

私の記憶の多くは、ひとりで見ていた景色の記憶です。こっそり家の屋根に登って見ていた風景、スイミングバスを待っていたときの空の色、車やバスの中から見ていた町の景色や遠くの山々、通学路の田んぼ道… それらは今でも鮮明に覚えています。ふとスイッチがOFFになった瞬間に目に入った景色だったのかな、と思います。

 


 

最近は少しずつ、意識的にON-OFFを切り替えられるようになりました。すべての人をもてなす必要はないと気づいたからです。

「もてなす」は、言い方を変えれば「へりくだる」です。大切な人と対等な関係でいられることは幸せなこと。必要以上にへりくだることは時に、相手にとって失礼なことなのだと知りました。

大切な人に、失礼なことはしたくありません。なので対人モードをOFFに切って、自動でONに入らないように気をつけるようになりました。まだ私にとっては「もてなさない」という加減が難しく、距離感を間違えて失敗も多いです。( → 参考記事: 距離感がおかしい )

それで悲しい思いをすることもあります。それでも今まで私にはほとんどいなかった「対等な関係」でいられる相手が、少しずつですができるようになりました。とても嬉しいことです。

 

心の鎧』という、私が心理学スクールで教わってとても好きになった話があります。鎧とは、本心や感情などを隠すために無意識に身に付けた防衛の手段。つまりは、偽りの自分のようなものです。

鎧は着ていれば良いとか、脱げば良いとかいったものではなく、状況によって自分の意思で自由に脱ぎ着できることが望ましい」…当時は当たり前だと思って聞いていましたが、最近になってようやくその本当の意味を実感しています。

私にとって、対人モードは決して「悪いもの」でも「不要なもの」でもないからです。対人モードのおかげで接客業の仕事がスムーズにできます。初対面で相手に嫌われないことで、その後も関われる機会を得られたこともあったと思います。状況によっては、私の強みになります。

あとはやはり、距離感がもっと巧く保てるようになったら良いとつくづく思います。それは今後の課題です。

 

( →【うさぎ年表】での分類:小学生時代 )