glay-usagi’s diary

ASDグレーゾーン「うさぎ」の、理解されない人生の記録

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もうひとつの方のバイトのこと

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私は現在、2つの深夜バイトを掛け持ちでしています。今回はその内の、メインではない方のバイトについてです。

もうひとつの方… と書いてはいますが、前に『ひとつ目のバイトのこと』という記事がある訳ではありません。私自身が普段、メインではない方のバイトを「そう呼んでいるためで、その通りに書くのが一番しっくりしたからです。

 *更新:この記事を書いたら、便乗してメインのバイトについても書いてみたくなりました。その結果、次の記事が「メインのバイトについて」になりました…

以前にも、このバイトでの出来事を少し書いたことがあります。『深夜も営業していて、漫画が沢山ある場所と言えば、大方の想像はついてしまう気もしますが… 施設名を詳しく書くのはあまり宜しくないと思ったので、そこは割愛します。( → 参考記事: うさぎも自分の名前が言えない )

 

私がこの仕事を選んだ理由は、深夜帯のバイトを募集していた「家から一番近い働き口」だったからです。勤務時間や日数も都合が合いました。深夜でさえあれば何でも良く、業種は問いませんでした

全く興味の無い分野でしたが、やってみると色々な事を学べるものです。運営元は大きな会社です。各店舗へのオペレーションシステムや、その細やかさ。現場の人事や労務の管理体制。作業を徹底的に簡素化・統一化させるための工夫。最新のツールを積極的に導入する姿勢などなど…

私はいつも、そういう角度で物事を見ています。変更の通達が届く度に、その真意を探ることが好きです。複雑化の一途を辿っていた手順が、急に簡素化へシフトしたときなどは、上で一体どんなやりとりがあったのかなぁと勝手に想像してしまいます。

自分の手間に関わるオペレーションの変更は、当然面倒臭いです。しかし、私も以前はそういった効率化を作っていたことと、自分で仕組みを考えるのが好きなこともあり、大企業ならではのやり方を観察できるのは面白いです

 

一番衝撃的だったのは、漫画の数の多さでした。私の職場にあるだけでも物凄い量で、世の中にはこんなにも沢山の漫画が存在しているのかとはじめて知りました。それに、今はどんなものが流行っているのかもわかり、新たな発見もあります。

他にも、今まで知らなかった領域に触れられることは、私にとってとても魅力的な経験です。あらゆる電子決済を扱っているため、電子マネーに明るくなったこと。業務用のレトルト食品が、どんどんと進化していることも知りました。

VR(バーチャル・リアリティ)などは、恐らくここで働かなければ一生、触ることさえなかったのではないかと思います。ドリンクバーやソフトクリームの機器は、分解洗浄をする度にこれを作った人は凄いなぁと感心します。

仕事はとても楽です。とは言っても、世間的には普通の業務量だと思います。しかし私にとっては、メインのバイトの方が肉体的にとてもハードで、しかも勤務時間も長いため、そちらと比較するととても楽に感じてしまいます。正直言うと「半分お休みの日」みたいな感覚です。

 

 

業務は原則二人体制です。私は週二日、決まった曜日でシフトに入っています。他の人も、ほぼ曜日が固定しています。そのため誰かが休みを申請したり、個人的に出勤日を交換したりしない限り、毎週同じペアになることが大半です。

基本的に役割分担が明確で、多くの飲食店のようにホール側と厨房側で分担しています。週の1日は時間帯リーダーである年下の男性とで、私はホール側です。もう1日は年上の女性とで、私は厨房側です。どちら側でも良いのですが、毎回決めるのが面倒で気がついたらそうなっていました。

彼らは私よりも勤続年数が長く、私よりも色々な業務に詳しいです。出勤日数も多く、週二日しか入らない私よりも常に現場の状況を把握しています。

そのため私はいつも、大抵のイレギュラー業務は彼らに任せてしまいます。というより、どちらかと言えば彼らの方が張り切っている様子に見えるので、余計なことはしないように大人しくしているだけです。

おかげで私は毎回、自分の分担業務さえ最終的に終わらせれば良いことになります。それ以外の時間は、自分の好きな作業に思う存分費やすことができます

 

私が好きな作業は何故か、他の人がやりたがらないものが多いのです。私は床や壁、備品などあらゆるものの掃除が好きです。汚れているのが目に入るとイライラします。しかし他の人はそんなに気にならないようで、掃除も決められた範囲以上はやらないようです。

棚や冷蔵庫の中も、納品時や使用時にぐちゃぐちゃに入れてしまう人が多いので、取り出し難くて仕方がありません。私は取り出し易く、数え易く、補充し易いように整頓するのが大好きです。綺麗に揃っている状態が気持ちが良いし、揃っていないと気持ちが悪いです。( → 参考記事: 揃っていないと気持ち悪い! )

私はホール側と厨房側にそれぞれ週1日ずつ入るので、週に一度それぞれのスペースの他の人がやらない掃除や整頓をしている感じです。誰に言われた訳でもなく、やりたくてはじめたらいつの間にか定例作業になっていました。

一応、暇なときにやる「手空き業務」というものがあるのですが、私は滅多にやりません。私の好きな作業ではないし、他の人が皆やっているから滞ってもいないし、まぁいいのかなと…

 

掃除や整頓をして誰かに褒められることはありませんが、かといって怒られることもないので、いつも自分が気の済むまでやっています。もちろん、自分の分担業務の方もちゃんと終わらせています。

もし余計なことはやらなくていいから、決められたことだけをやれと言われたら、私は楽しくないので仕事を辞めると思います

過去には何度もそれで怒られ、その度に喧嘩をして転職を繰り返しました。今の職場はもう一年以上続いていますが、まだそう言われたことはないので助かっています。

そもそも、別にサボっている訳でもないし、誰もしない補充をしておくことで皆の作業効率も上がるし、常に整頓しておくことで発注ロスや欠品も減るし、納品時にしまう人だって奥へ入れ易いし… 私は未だに過去にどうして怒られてしまったのかが、いまいち理解できていないです

 

 

相方との関係については、悪くはないと思っています。しかし私は基本的に、余程の仲が良くなった人でないと、職場では業務上のこと以外ほとんど喋りません。仕事の話はしますし、それに伴うちょっとした雑談はします。別に、相手が嫌いな訳ではありません。

しかしプライベートの話や仕事に関係のない話は、訊かれればそこそこは答えますが、自分からはまず話しませんし、訊くこともありません。黙々と作業をするのが好きです。作業に集中していると楽しいので、話をするのが億劫です。

ただ、本当に仲良くなった人とは、仕事中でも結構喋ります。少しならプライベートなことを話すこともあります。その代わり、その間の作業は滞ります。メインのバイト方のではそういう人がいますが、こちらではいません。きっと私は、物凄く無口な人だと思われていると思います。

 

週1日一緒に入る年上の女性とは、私にしては珍しく巧くやれています。もう一年以上一緒に働いていますが、私は彼女の年齢も、住んでいる場所も、結婚や子供の有無も知りません。(年上だと思うのは、何となく入社時にそんなような話を聞いた気がするだけなので、本当のところはわかりません)

深夜のバイトの良い点は、女性が少ないというのもあります。私は女性が苦手なので、本来は女性と二人きりでずっと働くことは相当しんどい環境です。考えただけで憂鬱な気分になりますが、彼女にはそう感じることが全くないのです。

実は、ちょっと似ているなと感じます。彼女も自分ルールやこだわりが強いので、私と同じ種類の人なのかなと思っています。自分のことは棚に上げて、彼女のこだわりが私にはわかり易すぎて、思わず厨房の中でひとりクスクス笑ってしまうことさえあります。

 

彼女とは、いちいち言葉でやり取りをしなくても「ここは手を出して欲しくない領域だろうな」「これは私がやるべき作業だな」というのが感覚的にわかります。恐らく、彼女も同じなのではないかと思います。

たまに雑談をしても、よく聞き取れなかったり、結局何についての話だったのかわからなかったりすることも多々あります。それなのに不思議とトラブルもなく、ぶつかることもありません。

本当にストレスフリーで、私はもう一人の男性よりも、彼女とシフトに入る方が気が楽なのです。彼女は、私が職場で全く苦手意識を感じない数少ない女性です。そこは本当に嬉しく思います。

それでも… 彼女の個人情報には全く興味がないし、職場以外で会いたいとも思いません。雑談の回数が増えることもなく、相変わらずの距離感でこれからもやって行くのだろなぁ、という気がします。

 

( →: 【うさぎ年表】での分類:ブログをはじめる )

そう言えば!パソコン関連「備忘録」

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そう言えば前回、久しぶりにブログを更新する際にとても困ったことがありました。実はブログをサボっていた間に、家のデスクトップパソコンが壊れてしまいました。折角のネタなので、自戒も込めて書くことにします。

≪予めのお願い≫

文中に出てくるWeb用語と、一部パソコン用語について、間違っていてもスルーしてください。私はよくわかっておらず、覚えられる気もしません…。ただ文章を書くに当たり何かしらの「単語」を使う必要があったので、自分の中のイメージを基にググって、それらしいと思った単語を選んでみました。何となく… のニュアンスで読んでくださいm(_ _)m

 

私はいつも、記事の下書きはスマホのアプリで書いて、調整と投稿はパソコンから行っています。ところが約2ヶ月前、パソコンが電源を入れてもスタート画面のまま、急にログインさえできなくなりました。頑張ってコマンドを調べて自分なりに色々と試しましたが、一向にびくともせず完敗でした。

もう10年以上の相棒。確かにここ数ヶ月はマウスの反応も悪く、ページの移行にも「分単位」で時間が掛かる有り様でした。明らかに老化が目立っていたので、そろそろかなぁとは感じていましたが… 完全に油断していました

私は有線でネット接続しているので、たまたま持っていたけど使っていなかったノートパソコンを代わりに繋ぎ、何とかセットアップをしました。一年半前の引っ越しのときと同じく、ネット環境を整えるだけで数日掛かりました。

 

案の定、バックアップをとっていなかったデータは全てご臨終と相成りました。写真や音楽はそれほど問題はありませんでしたが、ブログ関連は大打撃です。

いつも投稿時に使っていた、アイキャッチ画像の原本が消えました。それに、一所懸命調べて『IME言語バー』に単語登録しておいたHTMLやCSSも全て消えてしまいました。

私はWebページに関しては素人なので、ソースやタグ(← が何を指すのかも怪しいです) はよくわかりません。身近に教わる人もいないので、いつも適当です。

 

そもそも私は、何か困ったときに「人に頼る」という発想があまり湧きません。(厳密に言えばググる行為も記事の投稿者に頼ってはいますが、ここでは除外します)

これは幼い頃から、人に頼ることはだと言われて育ったためだと思います。ずっとそれを信じていたので、何でも自分で解決する癖が付きました。おかげで結構色々と、女性が得意では無いと言われる分野でも私はできることが多いです。

しかし心理学を学び、人に頼ることの大切さをはじめて知りました。最近は少しずつ意識して人に頼るようにしてはいますが、余程の余裕がないと忘れています。

いつも後になって「詳しい人に相談すれば良かったんだ」と気づきますが、大抵もう終わっています。特に急なシチュエーションや「全然わかんないけど何か面白そう」と思ったことは、考えるより先に動いています。自己完結が激しいです。

 

このブログをはじめるときも、何か面白そうだったので自分で色々と調べました。取り敢えずググって、よくわからないままHTMLやCSSをコピペしました。投稿時に必要なものは、再現性を保つため全て単語登録しておきました。そしていつも投稿時には、IME変換で入力していました

例えば、水平線を入れるときは「55」と打って変換すると、水平線が入るようになっています。リンク指定などのCSSも全て、数字や簡単な文字で登録してありました。

変換を覚えしまえば超速です。もし忘れても、変換表を見れば済みます。わざわざ過去の記事に、コピペをしに行かなくても良いのです。HTML編集画面にダイレクトで入力した方が、楽だし速いです。

 

今回、単語登録一覧のバックアップを取っていなかったので、再現性がゼロになりました。投稿時までそれに気づかなかったので、前回の記事では全く触れていませんが、本当は投稿の前に心が折れかけていました。

変換リストだけはちゃんと管理してあったのが、不幸中の幸いでした。過去の記事のHTML編集画面と睨めっこして、やっとのこと単語登録を復元(こっちが優先!)、以前と同じ「よみ」で変換ができるように戻せました。

その後の記事投稿となったので、前回は大変な労力を要しました。恐らく他にもっと賢い方法もあるのでしょうが、私はこのやり方が慣れています。仕事でエクセルを使っていたときも、ずっとこのやり方でした。単語登録大好きです。

 

 

それとは対照的に、アイキャッチ画像は私にとってちょちょいの、ちょいっ♪の領域です。一瞬しまった!と思い、一応ざっくりと探してみましたが見当たらず… しかしこちらは、大した問題にはなりません。

このブログのアイキャッチ画像は、適当にダウンロードしたパーツをパワポで組み合わせて作ってあります。文字の部分だけ、毎回テキストボックスを書き直して使っていました。

今回、そのパワポのファイルがなくなってしまいました。またネットでパーツを捜しダウンロードして加工するのは、微調整を正確に行える自信がありませんでした。私は少しのズレでも許せない困った性分です。一新しようかとも考えましたが、デザインを考える元気も既に残っておらず…

そこで、手抜き復元をすることにしました。投稿済のJPEG画像をスクショして、画像として再利用。テキスト部分だけうまく誤魔化して、上から新たに貼り付けてあります。こちらは、さほど時間も掛かりませんでした。

 

見た目は以前と違和感なく、上々の仕上がりだと思っています。私はOfficeが大好きで、特にこういった作業は得意です。ノートパソコンを接続して真っ先に手を着けたのも、パワポのタブのカスタマイズ」でした。

私は一部の領域に関して超ド級の面倒臭がり』です。Officeを使うとき、タブを切り替えるワンクリック動作がすこぶる面倒に感じます。なので新しいタブをひとつ作り、そこに自分が使用するコマンドを全て入れて使っています。

他の初期設定のタブは、稀に使うことがある「表示タブ」だけは残し、他は全て非表示にしてあります。見た目もスッキリで、とても使い易いです。その代わり、他所のパソコンを使うときはあちこちクリックして探す羽目になりますが。

ワードは最近あまり使いませんが、エクセルはたまに使うので、今度ちゃんと時間を取ってカスタマイズしておきたいです。特にエクセルとワードは2003と2007を長く使っていたので、今回のOffice365の仕様だとどうしてもやりにくく感じます。

 

実は最近、パソコンではてなの下書き画面を開くだけで30分近く掛かっていました。いちいちフリーズするからです。好きなOfficeだと一瞬の手間にもカリカリする癖に、こういう苦手意識のあるものは放置してしまうのが自分でも不思議です。

それを踏まえると、パソコンが壊れてくれて却って良かったのかもしれません。今回接続したノートパソコンも、Windows7を10にアップデートした中古品で新しくはないですが、いま暫くは使えるはずです。

今度はIME言語バーも、アイキャッチ画像の原本もしっかり保存しました。デジタルは便利ですが、管理を怠ると一瞬で全て消えてしまう… くわばらくわばらです。

 

それでも普段はどうしても面倒で、ついバックアップを忘れてしまいます。有事になってはじめて、日頃の小さな手間の大切さが身に染みるもの。

しかし、こういった失敗や「面倒くせー」と思う経験がないと、なかなか新しいことを覚えたり、スキルを身に付ける機会もないのが現実です。そのおかげで、自分でできることが増えるのも事実

という訳で、楽観的に『後悔はするけど、反省はしない!』で良いのかなと思います。無駄な経験はひとつもないはず、きっといつか「あの時この経験をしておいて良かった」と思う日が来ます。今回急にパソコンが壊れたのも、私の人生でこの経験を積む必須がある、という天の思し召し。

…でもやっぱりとても大変だったので、だいぶ経った今でもすんごく悔しい!『後悔』の方は過剰に実践している、今日この頃のうさぎです(笑)

 

( →: 【うさぎ年表】での分類:ブログをはじめる )

ノルマとゲームクリアのため、お休みしていました

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随分と久しぶり、2ヶ月半ぶりの更新になります。もう2ヶ月近く、ブログサイト自体を開くことさえできていませんでした。

はじめの1ヶ月は、単純に書けなかったこと。前回のブログで『次回予告』をしてしまったので、次の記事はそのことについて書かなくては、と自分にプレッシャーを掛けてしまっていました。

吃音について書きたかったのですが、全く内容が纏まらず、何度も書きはじめては消してを繰り返していました。私は自分が納得できない文章を投稿することがどうしても嫌です。結局今回は、そこまで到達することができませんでした。

 

いつも2記事以上の続き物を投稿するときは、予め全体のストーリーが既に頭の中でできあがっています。もしくは、1記事として書きはじめた予定が余りにも長くなりすぎてしまい、投稿時に分割して微調整していたかのどちらかです。

今回はまだストーリーが全然固まっていないのに「次回書く」と書いてしまったのがいけなかったと思います。勝手にノルマにしてしまいました

それに吃音は自分にとって、そして恐らく他の当事者にとっても、とてもデリケートな領域だという自負があります。絶対に誤解のないように、ちゃんと書きたいという気持ちが強く、毎日そのことで頭がいっぱいになっていました。

自由なはずの個人ブログで、そこまで苦しい思いをしてまで書かなければいけないものは無い… だいぶ時間が経って、ようやくそう気づきました。それにどうやら私の中では、まだ吃音については書ける段階ではなかったようです。

 

吃音が最悪だった時期と比べたら、今は天国のような状態です。言葉がでないゾーン(期間)も月に数度しかありません。そうなってしまっても、今の自分にとって鉄板な対処法がわかっています。うまく慣らしつつ、短期間でゾーンを脱することができます。

それでもまた環境や状況が変われば、いつ悪化してもおかしくないという恐怖は残っています。うまく機能していると思っていた対処法が、ある日突如として無効になる経験は過去に何度もしています。

しかし今回の安定は、今までの安定期と比較しても桁違いに良好です。多分もう大丈夫です。けれども客観的に文章にできるようになるには、もう少し時間が必要なのかもしれません。

またいつか、今度はノルマではなく、ちゃんと書けると思ったときに書くことにします。

 

 

実はその間にも、その後にも、本当は他に書きたいと思うことがいっぱいありました。やっとノルマを手放すことができたので、先ずはその間に溜まってしまった用事を片っ端から片づけ、家の中や庭を徹底的に綺麗にしました。気に掛かるタスクをひとつ残らず無くしたかったからです。

そして半月くらい掛けて、遂に笑いが止まらないほど身の回りが綺麗に片づきました。私が一番安心できて、大好きな状態です。本当にひとり部屋の中でケタケタ笑ってしまい、嬉しくて止まらなくなります。

これでやっと色々書ける!と思ったのも束の間… 今度は公私でイレギュラーなことが重なりました。とても文章を書いている心境ではなくなりました。

ひとつは、バイト先の異動のゴタゴタ。もうひとつは、最近ある友人との関係性が、急速に変化してしまったことです。どちらも先行きが不明瞭で、自分の気持ちもこれからどうなって行くのかも「想定の範囲内」に納めることができなくなりました。

ずっと頭も気持ちも落ち着かない状態に陥ってしまい、そうなると延々と色んなことを考え出します。考え過ぎて疲れ果ててしまい、ここ1ヶ月間は携帯ゲームで現状逃避をしていました。

 

私は普段、ほとんどゲームをやりません。そんなにやりたいとも思わないです。それに迂闊にはじめると夢中になりすぎて、一日中そればかりになってしまうことを知っています。

一度ハマるとトイレも我慢して、寝ないでやり続けてしまいます。真冬に寒い部屋で、体が冷えて痛くなるまで気づかないでやってしまうこともよくあります。本当に「廃人」になります。

今は仕事があるのでそこまで酷くはなりませんが、いずれにせよ時間の浪費行為です。ちなみに私がやるゲームは、シンプルなテーブルゲームばかりです。ここ数年は私にとってゲーム=数独です。

過去にハマっていたゲームも似たようなものばかりで、10代はテトリス、20歳前後はフリーセル、30歳前後は詰め将棋でした。一度気に入ると、数年間ひたすら同じゲームばかりやり続けます。飽きることも、他のゲームを平行してやることもありません。(それだけやり続けている割りには、大して上達しないのが残念ですが…)

 

ゲームに集中している間は、いかにクリアするかだけを考えていられるので楽です。他のことに気を回さないでいられる、私にとって数少ない「健全な逃避行為」です。課金とは無縁なことも救いです。

しかしやはり、もっと建設的なことに時間を遣う方が良いです。ゲームをやり続けていると、徐々に自然とそう感じるようになって来ます。少々時間は掛かりますが、そうなれば本当の意味でのゲームクリア」です。

今回もそう思えて来たので、久しぶりにブログを開いてみることができました。するといつの間にか下書きの記事が更に増え、凄い数になっていました。

…そういえばノルマ格闘中、思い付いたことを後で書きたいと、忘れないようにちょこちょこ下書き保存をしていました。そのことをすっかり忘れていたので、ビックリしました。また新たなノルマにならないよう、適当に無視します

 

 

最近起きた、私にとってのイレギュラーな2つのこと。これらは未だに進行中で、私にはよくわからない不安な状態のままです。

バイト先の方は、もう私にできることは終わって、後はお偉いさんが決めるだけになりました。もう間もなく落ち着くはずです。

友人との関係性は、恐らく暫くはわからないままだと思います。でもそれひとつだけなら、何とか対処して行けそうかなと… 自信はないですが、このままうだうだしていても仕方がないとわかっています。

 

それらの出来事をブログで書くのは少し億劫です。読みたい人も、そうは居ないだろうと思うからです。…それでもやっぱり、ちょっとだけ書いてみようかなと思うようになりました。

私自身、他のアスペルガーやグレーゾーンの方の経験や感じ方を知りたく思うときが多々あります。しかし本当に、当事者のそう言った声は少ないのです。だからもしかしたら、誰かの役に立つこともあるかもしれないなと。原点回帰です。

今度はある程度ストーリーができているので大丈夫だと思います。もしまた更新が止まったら、きっと私はひたすら数独をやっています。そして暫くしたら自然と非生産性に気づき、また書きはじめるはずです(笑)

 

( →: 【うさぎ年表】での分類:ブログをはじめる )

チック症について

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一応、前回の続きという流れになります。しかし今回は吃音ではなく、チック症の話です。私の中で、そういう順番にすると決定しました。すみません…

( → 前回の記事: うさぎも自分の名前が言えない

 

以前、アスペルガーについて片っ端から調べまくっていた頃。他の発達障害や、複数の発達障害の併発(合併)についても、必然的に様々な文献や記事を目にする機会となりました。

発達障害の中のひとつに「トゥレット症候群」や「吃音(症)」という障害がありました。簡単に言うとトゥレット症候群はチック症のことで、吃音()はどもってしまう症状のことです。

私はそれまで、それらの定義を全く知りませんでした。「チック」や「どもる」という言葉は知っていましたが、それはただ本人の困った『癖』であり、どちらかと言うと精神的なもの」で仕方のないことだと思っていました。

結果的にアスペルガーを疑いはじめたことで、私はそれらが発達障害のひとつに分類されているものだとはじめて知りました。今回は、トゥレット症候群(チック症)について書きます。

 

私は子供の頃、チックの症状をたくさん持っていました。いずれもそんなに目立たない言動だったので日常生活に支障をきたすことは少なく、母親に指摘されてはじめて自覚した程度の軽い症状です。

チックの症状は、自分ではコントロールできないものです。「音声チック」と「運動チック」があり、子供の頃に何かしらの症状が出るのはそれほど珍しくないそうです。大抵は一過性のもので、数ヶ月で自然に症状が消えると言われています。

しかし、複数の運動チックとのひとつ以上の音声チックが1年以上続くと『トゥレット症候群』に分類され、今は発達障害のひとつとして扱われているとのこと。子供の頃、私はまさにトゥレット症候群でした

 

私の音声チックは「ん」のような「ふ」のような音が、感覚的には鼻の奥の方というか、頭の中の方(?)から勝手に出てしまうものでした。とても小さな声ですが、一度はじまると暫くは止まりません。

運動チックに関しては頭を振る、まばたきを繰り返す、顔面をしかめる、肩がびくんと上がる、足の指にぎゅっと力が入る、目をぎゅーっと瞑る… など、挙げたら切りがありません。

どれかがはじまってしまうと、その同じ動作が暫く続きます。こちらも自分の意思で止めることはできません。何十回か繰り返すと、いつの間にか自然に治まっています。

これらの症状が出るのは家にいるときが大半で、私は一人でいるときに最も多く出ていました。『緊張が解けた後のリラックス時』に出ることも多いと言われているそうです。

 

家の外でも出ていると自覚することはありましたが、そう多くはありませんでした。人前となると大抵は気を張っているので、私にとっては症状が出にくい状況だったのだと思います。

(私の場合、過度のストレス状態のときや、自分でもわかるほど肉体的に疲労があるときは「眼瞼ミオキミアと呼ばれる、瞼がピクピク痙攣する症状がおきます。人前ではこちらの方が頻繁です。これも子供の頃からで、現在もたまにあります)

チックの症状に関しては人前ではほとんど出ないため、私の場合は誰かにからかわれたり、恥ずかしい思いをしたりすることは余りありませんでした。

ただ暫く止まらないので、その部分の筋肉がとても疲れます。意識がそこに向いてしまうと、他のことができないこともありました。

 

母親に顔をしかめる行為を指摘され、はじめて自分のチック症状を自覚したのが恐らく幼稚園くらいのときだったと思います。止めようと頑張ると、一時期には止まります。でもまた直ぐにはじまります。

小学校を卒業するくらいまでは、常に何かしらの症状がありました。その時々で「ブーム」のような症状があり、暫くすると他の症状に変わってそれをぐるぐる繰り返す感じです。複数の症状が同時に起こる時期もありました。

最も頻発していたのは小学生の頃で、その後は徐々に減りました。恐らくここ10年くらいは、完全に近いほど消えています。幸いチック症に関してはほとんど困った経験もなく、嫌な思いをした記憶もありません。

 

 

私は専門家ではないので詳しいことはわかりませんが、いくつかの統計によると「トゥレット症候群吃音は、他の発達障害と併発しやすいそうです。特に吃音は、半数以上の割合で併発するという統計もありました。

また、発達障害の子供は小児てんかんをもつ割合が高いことも指摘されているようです。私も5歳まで「てんかん」がありました。これは唯一、医師の診断が下りています。

私は、てんかんの記憶は一切ありません。何の種類のてんかんだったのかも知りません。いつだったか忘れましたが、既往歴の欄に「小児てんかん」と書いてあったのを不思議に思い母親に聞いたときに「5歳までてんかんがあった」とはじめて知りました。

私が自分はアスペルガーのグレーゾーンだと納得した背景には、このトゥレット症候群」「吃音」「小児てんかんの存在もありました。あとは、幼少時代から続く「不規則な睡眠」も該当します。( → 参考記事: 寝られない、起きられない

 

本当は、前回の続きで「吃音」についてだけを書く予定でした。しかし書くに当たり、情報の再確認をしようと色々と専門サイトを開いていく内にチックやてんかんについても目に止まり、急遽予定を変更して書いてみました。

チック症に関してはほとんど嫌な記憶がないので、意外とスラスラ書けました。次回はちゃんと吃音について書きます。こちらは少し時間が掛かりそうです。また近々、改めて…

 

( →:【うさぎ年表】での分類:小学生時代 )

うさぎも自分の名前が言えない

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志乃ちゃんは自分の名前が言えないという漫画をご存知でしょうか?映画化もされたそうです。有名な作品のようなので、ここでは詳細は割愛します。タイトルも長いので『志乃~』と略します。

現在私は週2日、辺りに漫画がゴロゴロ転がっている環境で働いています。中身を読むのはNGですが、外側は見放題です。というより、表紙に記載されている情報を読まないと仕事ができません。

はじめて『志乃~』のタイトルを見たとき、これまた長いタイトルだなと思いました。しかし、その文字の意味を認識した途端、びっくりして急いでその本を処理しました。見てはいけない物を見てしまったような気がしたからです。

 

その後も業務上どうしても目に触れる機会があり、ついそのタイトルを目で読んでしまうようになりました。人は避けたいと思う物ほど、何故か気になってしまうものです。

『志乃~』は、1巻完結の漫画です。たった一冊です。それがどうしても視界に入って来ます。2ヵ月くらい横目でチラチラとやりすごしていましたが、とうとう誘惑に負けました。

職場の漫画は読めないので、ちゃんとレンタルショップに探しに行きました。しかし見つからず、仕方がないので休憩時間にこそこそと… (バレたら怒られるので内緒です) 本当は買えば良かったのですが、所持する勇気まではありませんでした。

 

『志乃~』の主人公である志乃ちゃんは、上手く言葉を話せません。苗字である「大島」の『』(主に母音ではじまる言葉) がスムーズに出ずに「どもって」しまう、吃音症の一種です。

彼女は、子音ではじまる言葉はどもらずに言えます。独り言のときは、母音でも平気です。歌も平気です。しかし「人に話さなければいけない状況」になると、どうしてもはじめの母音が言えずにどもってしまうのです。

物語の冒頭、高校一年生になった志乃ちゃんは「自己紹介」で自分の名前が言えません。彼女は前夜に一人でたくさん「自分の名前を言う練習」をします。練習は一人なので言えるのですが、やはり本番では言えません

どうしようもなくなった彼女は、とうとう苦肉の策で「志乃、大島です」と下の名前から名乗ります。母音を避け、子音からはじまる文章にすり替えたのです。

これは『苦手な言葉を置き換える』という、吃音者がよく使う手段です。彼女はふざけている訳でも、外国人の真似をしている訳でもありません。そうしなければ永遠にどもり続けてしまうので、そうする以外に仕様がなくなったのです。

 

このエピソードを読んで、私は非常にびっくりしました。私のことが描かれているのかと思いました。私は、志乃ちゃんとは吃音のタイプが異なります。しかし『状況』『そのときの思考回路』『対処法』の全てが完全に瓜二つだったのです。

志乃ちゃんは「お、お、お…」と連呼してしまう連声型のようですが、私は「お…(無音)」と後の言葉が続かなかったり、はじめの言葉が発声できずに固まってしまったりする無声型(難発型)です。

私は常にではありません。症状が出ないときはほとんど出ません。平気な言葉は平気です。しかしどもる言葉はどもって、それが暫く続きます。いつからかは自分でもわかりません。でも、幼稚園のときには既にありました。

 

私も志乃ちゃんと同じように、母音で躓きます。子音は平気で、独り言や歌なら問題ありません。私も母音からはじまる単語を避けるためすり替えをよく使います。類義語に変えたり、訓読みもしくは熟語に変えたり、前にわざと形容詞を付けた文章にしたり…

「うさぎ」は適当に付けたペンネームですが、私の本名も『下の名前』が母音ではじまります。私は苗字のあと、下の名前が言えませんでした。続けて言えば平気なときもありましたが、下の名前だけを言う場面は地獄でした。

今は、だいぶ吃音は減りました。しかし未だに少し残っています。それでも私は、もう30年以上の大ベテランです。ある程度は相手には気づかれない「スキル」と「慣れ」を身に付けています。

今の私を知る人は、私が吃音を持っているとは恐らく知らないと思います。私も今はそんなに症状が出ないので、自分でも意識せずにいられる時間が増えました。おかげで好循環に入っているようです。

 

しかし、酷いときは本当に酷いものです。私も大人になってから、何度も志乃ちゃんみたいに「自分の名前を言う練習」をしたことがあります。

練習でも、言えなくなるときは全く言えません。何百回も練習して、それでも言えないともう練習する気力を失います。

大の大人が、一人で何時間も自分の名前を言う練習をする。名前以外でも、一つの簡単な単語を何度も繰り返して「言う」練習をするのです。…吃音者でない人にとっては、到底信じられない光景だろうことはわかっています。

でもきっと、多くの吃音者は練習をしたことがあると思います。練習をしたところで、そう簡単には喋れません。それでも練習せずにはいられないほど不自由で厄介でいたたまれなくて、どうにかしたいと願うのです。

 

吃音が完治するのかは、自分でもわかりません。でも「治そう、治そう」と頑張っていた頃よりも、もう仕方のないことと諦めてからの方が症状は減りました

『志乃~』は著者である押見さんが、志乃ちゃんと同じ吃音者であることから生まれた作品だと知りました。志乃ちゃんを可愛く描いてくれて嬉しいです。そして、映画化されるくらい既に世間に認知されていたことも有難く思います。

私自身、吃音についてはほとんど人に話したことがありません。親とも話したことがありません。ずっと「いけないこと」「恥ずかしいこと」だと思っていたので、できるだけ隠して自分の中でも『無いこと』にしていました。

でも数ヶ月前に『志乃~』を読んで、私もいつか自分の吃音について書いてみようと思いました。次回、私の体験を綴ります。何から書けばいいのか… これから考えてみます。( → 次の記事: チック症について)  

 

( →:【うさぎ年表】での分類:ブログをはじめる )

テストは楽しいゲームです!

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私はテストが好きです。「正解」を記述すると「得点」が入り、それを積み上げることで「総得点」が出ます。私にとっては楽しい『ゲーム』です。

テストで正解を答える快感は、まるでボウリングのようです。記憶というマイボールで、100点満点のテストなら100本のピンを何本倒せるか。もちろん、多く倒せる人ほど上級者です。

本物のボウリングになると、私はとても下手くそです。ボールがレーンを半分転がった辺りから、スコアボードに出るアルファベットがわかってしまい面白くありません。テストで100点を取ったことは何度もありますが、ボウリングで100点まで届くことは滅多にありません…

でも、テストは得意です。開始時間になると、全てのピンをなぎ倒してやろうと腕捲りと舌舐めずりをしたい気分に駆られます。高得点は、やはり気持ちが良いものです。豪快な音を立てて、ピンの山を弾き飛ばしたような爽快感があります。

 

私のテストとの出会いは、大半の人と同じ小学校1年生の学校のテストです。何の教科のどんなテストだったかは覚えていませんが、すぐに私はテストが好きになりました。

何て面白いゲームなのだろうと思いました。次第に私は普段の授業でアイテムをたくさん集め、うまく攻略法を身に付けることを覚えます。そうすることで、そのゲームでは面白いほどの高得点を叩き出せることに気がついたのです。

しかも定期的に開催され、ステージも自動的にレベルアップします。このゲームはいくらやっても怒られず、高得点を出すほど世間的にも良いこと」なのです。そんな都合の良いゲームが存在するなんて、もはや夢のようです。

 

私は周りの同級生に比べ、著しく本物のゲーム経験がありませんでした。私が幼稚園の頃に初代スーパーマリオブラザーズが発売され、時はファミコン全盛期。しかし私はその存在さえ知らずに生きていました。

ところが私が小学校に上がる直前、親が突然ファミコンとスーパーマリオのカセットを買って来ました。どうやら、母親が長期検査入院をする間の「子守り」として与えられたようです。後にも先にも、私が人生で唯一親に買ってもらったゲームでした。

はじめてのスーパーマリオはとても面白く、私はすぐに夢中になりました。7-4面の迷路の通り順は、30年以上経った今でもまだ覚えています。

私が一番頑張ったのは、誰に教わったのか3-1面のゴール前でカメを踏みまくって無限1upをすることです。全く巧く踏めず、挑戦する度にそこでゲームオーバーでした。よく考えると無駄な労力ですが、そればっかりをやっていたような気がします。

 

しかし残念なことに、ファミコンの本体がたった1ヶ月で故障しそれきりでした。丁寧に扱った記憶がないので、恐らく原因は私です。カセットだけでは何もできません。私がTVゲームを持っていたのは、人生でこの僅か1ヶ月間だけです。

そんな頃に出会ったのが、学校のテストでした。私は勉強ができるようになりたいとか、頭が良くなりたいとか、それで将来どうなりたいとかは全く興味がなく、ただテストという新たなゲームが面白かったのです。

学校の授業は、ゲームをクリアするための「知識」を得られる場です。漢字や計算を覚えることは、どの土管が地下に通ずるのか、どのブロックを叩けばキノコが出るのかを覚えることと同じです。

新たなアイテムを手に入れると楽しいです。高得点が出ると嬉しいです。どんどん難易度が上がるのは当然で、そうでなければ飽きてしまいます。そしてミスをすれば、やっぱり悔しい!

テスト中はもちろん、少し緊張します。スーパーマリオで8-3面まで1回も死なずに来たら、8-4面では多少慎重になるのと同じです。ラストで勢い余ってクッパに突っ込んだらかなり笑えません。イージーミスほど細心の注意が必要です。

 

 

そんなこんなで遊んでいる内に、私は瞬く間に「学校で一番の優等生」になりました。色んな人に感心され、ことある毎に誉められます。しかし私には、どうしてそんなに凄い!偉い!と言われるのかがさっぱりわかりませんでした。

小学生でスーパーマリオを全面クリアしても、別段世間から称えられることはありません。世界最高得点を出したり、新しい攻略法を発見したりしたのならニュースにもなるのでしょうが、ただ無難に全面クリアしただけでは『普通』です。

私にとって「テストの満点」とは、それと同じ程度のことでした。何故なら私は毎日のようにアイテム集めに励み、真剣にゲーム本番に挑んでいるのです。スーパーマリオと同じで、毎日やっていれば簡単にクリアできるようになるのは当たり前です。

それなのに、学校のテストに関しては周りが大袈裟に称えます。そして何より、全く同じ授業を受けているはずの他の人がいつまで経ってもクリアできるようにならないことが、私には不思議で仕方がありませんでした。

 

…今の私にはわかります。多くの人にとってテストは楽しいゲームではなく、勉強はアイテム集めではなかったのです。ともすれば「やりたくないのに、やらなければいけないもの」…私の最も苦手な部類に属するものだったのです。

それが9年間も義務化されているだなんて、考えるだけでゾッとします。幸い私は最終学歴の高校卒業まで、そのことに気が付くことがありませんでした。おかげで私の人生において、勉強もテストも「楽しい遊び」のまま今に至ります。

一見すると、良いこと尽くめに思えます。しかし、私は特定の分野に関心を持つことがありませんでした。攻略方法にしか関心がなく、その『内容』はどれもキノコやスターと同じです。得て使う、ただそれだけの対象でした。

私にとって、全てはゲームでした。知識はただのアイテムで、集めることが楽しかったのです。ゲーム感覚で得たことまでは良かったのですが、得たものをその先の「社会」で活かすという発想には至りませんでした

 

そうして小学校で一番の優等生は、成りたい物もやりたい事も何もわからないまま進路を考える年頃を迎えます。そこから私は、どんどん「優等生のレール」から脱線をはじめました。

当時私を誉め称えていた人たちは、さぞかしがっかりしたことと思います。もしかすると小学生時代の私を知る人は「良い大学行ってエリート街道まっしぐら」くらいは当然と思っていたかもしれません。

しかし当の本人は、何にも考えていませんでした。ただゲームが面白いだけで、善くも悪くも将来のことなど全く考えていなかったのです。いくら勉強ができても、これではいただけません。私が言うのも何ですが、教育って大事です。

 

私にとって、テストは今でも楽しいゲーム』です。大人になってからもいくつか資格試験を受けましたが、その勉強も毎回楽しくて全く苦になりません。それはちょっとした自慢です。

正解を答える快感も健在です。ボウリングに限らずビリヤードもゴルフも… 何度やっても一向に上達しない私にとって、クリーンヒットを決められる機会はとても貴重です。

嬉しいと、心の中で「うっしゃ!」と叫び、卓球の愛ちゃんみたいに小さくガッツポーズをします。たまに間違えて声に出してしまうと、少し恥ずかしい思いをします。

 

最後にもうひとつ。私にとってはとても意味がある、秘密の楽しみについてです。それは「全てのマスが埋まった答案用紙は美しい」ということ。これはペーパーテストならではの醍醐味です。

小学生の頃、全てのマスが埋まった美しい答案用紙が、紙一面に赤い水玉模様を載せて戻って来るのを見るのが私は堪らなく好きでした。満開のお花畑のようなその紙を、一人で何度も開いてはただ眺めていました。私は綺麗に揃っている状態が大好きなのです。

…だからなのかもしれません!私は綺麗に揃っている状態を崩したくなくて、ボウリングでも無意識に「G」を狙っているのかもしれません。ブレイクショットがブレイクしないのも、ドライバーやアイアンが空を切るのも、恐らくは…

嘘です。ちょっと綺麗にまとめようと欲張りました、ただの実力不足です。今後も精進に努める次第です…

 

( →:【うさぎ年表】での分類:小学生時代 )

根っからの『ぼっち』です!

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昨日はお昼ご飯を、回らないお寿司屋さんで食べました。瓶ビールとあら汁と、お好みで幾つか握って貰うのが私は好きです。

ランチメニューは安いですが、気分じゃないネタも入っています。折角お金を払って食べるのに、我慢して食べなければいけないのはちょっともったいない気がします。それに私は、旬のものを中心に食べるのが好きだからです。

昨日は「本日のオススメ」のイワシや、季節物で北海道の何とか漬けサーモンや、冷ケースにあって美味しそうだったものを握って貰いました。冷ケースのネタは、名前を聞きましたがよくわかりませんでした。他には、好きなアジや赤貝を食べました。

私はお寿司が大好きですが、魚の名前はほとんどわかりません。一丁前に尋ねてもみるのですが、さっぱり覚えられません。手書きのオススメにある、そんなに高くないものを中心に注文します。

すると大抵は、青魚や貝類でお腹いっぱいになります。それで満足なので安上がりです。昨日はサーモンがとても美味しかったので、おかわりをしました。何かに漬けてあったのですが、ちゃんと読んでいないので何だったのかがわかりません…

 

そこは駅前の小さな店舗で、外見はいかにもチェーン店っぽいのですが、板さんがささっと上手に握ってくれます。しかもお手頃で美味しいのです。ビールがキ○ンなのも嬉しい(笑)

いつも素通りしていたのですが、先月たまたま無性にお寿司が食べたくなりちらっと覗いてみたところ「回ってない!」と気づき、入ってみたらすぐに気に入りました。昨日が二度目の贅沢です。

もちろん一人です。私は全く店内を観ないので憶測ですが、半分はテーブル席っぽかったので2~3人連れのお客さんもいたと思います。でも一人客が多く、特に年配の女性客が多いことに驚きました。

 

最近は『ぼっち』という言葉があり、私は結構気に入っています。『一匹狼』だとちょっと格好良すぎます。ぼっちという響きは、何となく可愛く感じます。

私は幼い頃から、いつも単独行動でした。大好きな仲間がたくさんいた頃のスイミングクラブで、いつも皆と一緒に帰っていたことが、私にしては珍しいくらいです。

学校の登下校や休み時間も、集団行動を強要されなければ一人が普通でした。休み時間は仲良くなった子と話すこともありましたが、一人でいることの方が多かったように思います。

 

世間ではお一人様がブームになっていますが、私はずっと一人だったので微妙な感じです。ドライブも旅行も、ラーメンもファミレスも焼き肉も、居酒屋もバーも、カラオケも買い物も水族館も、ライブもスポーツ観戦も…

私は自分が行きたいと思えば、いつも一人で行きます。そもそも、誰かを誘うという発想がありません。誰かと一緒に行くときは、会うことが目的であってどこに行くかは後付けです。

ずっとそれが当たり前だったので、寂しいとか周りがどう見ているのかなどは、あまり考えたことがありませんでした。確かにどこに行っても連れがいる人ばかりでしたが、それはたまたまであって、だからどうと思うこともなかったのです。

お一人様を推奨する風潮を知ってはじめて、自分が常に一人だったと気づきました。そしてそれを恥ずかしいと思う人がいることも知りました。その流れで言うと、どうやら私はお一人様上級者のカッコいい部類に入るようです。

 

お付き合いや有償でなら、人と一緒に出掛けることもありました。有償とは「仕事で」という意味です。20代の頃は、お小遣いを貰ってパパさんたちとよく旅行に行っていました。アフターみたいなものです。

普段は行かない場所や、自分では高くて行けない場所に連れて行って貰えたことは貴重な体験です。しかし、そのとき行った場所はほとんど覚えていません。本当に美味しいと思ったり感動したりできるのは、一人のときだけです

もちろん元夫や、付き合っていた男性などとは何度も一緒に出掛けました。それでもやっぱり、一人の方が楽しいのです。親と出掛けることは、しんどいので嫌いです。

人と出掛けるときの最高人数は、私と相手の二人です。それ以上の人数は、私にとってはプライベートではなく『イベント』です。イベントはずっと気を張って疲れるので、本当はあまり行きたくありません。

 

最近は本当に好きな人となら、一緒にご飯を食べたり飲みに行ったりするのが楽しいと思うようになりました。そういう人と一緒に飲みに行くと、私は結構酔っ払います。

私は、人と一緒に飲みに行ってもあまり酔いません。帰りに一人になって、飲み直しに行くと一気に酔います。一人で飲みに行くと、必ずしっかりと家には帰っていますが記憶がないときがあります。最近はだいぶ減りましたが、昔はよくありました。

今は、また一緒に飲みに行きたいと思う人が何人かいます。それでも一緒に行くのは、飲食とカラオケくらいかなと思います。他はまだ一人の方が楽しい気がします。アルコールがないと、きっと緊張して疲れてしまいます。

それに、一人ならずっと自分の好きに動けます。例えば私はクラゲが好きなので、水族館に行くのが大好きです。しかし何時間もクラゲの前に張り付いているので、他の人は一緒に行っても飽きると思います。私も気を遣って集中できません。

 

ぼっち』は良いことのように言われはじめていますが、本当のところは私にはわかりません。それしかできないだけで、好んでそうなった訳ではありません。

でも、寂しいという感情がないのは有難いことなのかもしれません。同じ一人で居るにしても、寂しいと感じてしまう人は辛いだろうなと思います。周りの目も… 私は、恐らく気づかないので平気です。

 

一人家に帰り、誰もいない部屋でただいまーと言う瞬間が、一番落ち着きます。家に帰って来たという実感が湧きます。よくこれで、二度も結婚したなと思います。どう考えても向いていません。

家には金魚さんがいるので、金魚さんには喋ります。庭にいる虫さんや、遊びに来た鳥さんにも喋ります。一人でも喋っています。私は結構お喋りです。

私はこんな暮らしが好きです。「きっとこれからも『ぼっち』で暮らして行くのだろうな」と思うと… 当然ながら、物理的に不安な面は山ほどです。けれども精神的にどうかと言われれば…

…実はちょっと嬉しく感じ、とてもホッとするのです。

 

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