glay-usagi’s diary

ASDグレーゾーン「うさぎ」の、理解されない人生の記録

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根っからの『ぼっち』です!

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昨日はお昼ご飯を、回らないお寿司屋さんで食べました。瓶ビールとあら汁と、お好みで幾つか握って貰うのが私は好きです。

ランチメニューは安いですが、気分じゃないネタも入っています。折角お金を払って食べるのに、我慢して食べなければいけないのはちょっともったいない気がします。それに私は、旬のものを中心に食べるのが好きだからです。

昨日は「本日のオススメ」のイワシや、季節物で北海道の何とか漬けサーモンや、冷ケースにあって美味しそうだったものを握って貰いました。冷ケースのネタは、名前を聞きましたがよくわかりませんでした。他には、好きなアジや赤貝を食べました。

私はお寿司が大好きですが、魚の名前はほとんどわかりません。一丁前に尋ねてもみるのですが、さっぱり覚えられません。手書きのオススメにある、そんなに高くないものを中心に注文します。

すると大抵は、青魚や貝類でお腹いっぱいになります。それで満足なので安上がりです。昨日はサーモンがとても美味しかったので、おかわりをしました。何かに漬けてあったのですが、ちゃんと読んでいないので何だったのかがわかりません…

 

そこは駅前の小さな店舗で、外見はいかにもチェーン店っぽいのですが、板さんがささっと上手に握ってくれます。しかもお手頃で美味しいのです。ビールがキ○ンなのも嬉しい(笑)

いつも素通りしていたのですが、先月たまたま無性にお寿司が食べたくなりちらっと覗いてみたところ「回ってない!」と気づき、入ってみたらすぐに気に入りました。昨日が二度目の贅沢です。

もちろん一人です。私は全く店内を観ないので憶測ですが、半分はテーブル席っぽかったので2~3人連れのお客さんもいたと思います。でも一人客が多く、特に年配の女性客が多いことに驚きました。

 

最近は『ぼっち』という言葉があり、私は結構気に入っています。『一匹狼』だとちょっと格好良すぎます。ぼっちという響きは、何となく可愛く感じます。

私は幼い頃から、いつも単独行動でした。大好きな仲間がたくさんいた頃のスイミングクラブで、いつも皆と一緒に帰っていたことが、私にしては珍しいくらいです。

学校の登下校や休み時間も、集団行動を強要されなければ一人が普通でした。休み時間は仲良くなった子と話すこともありましたが、一人でいることの方が多かったように思います。

 

世間ではお一人様がブームになっていますが、私はずっと一人だったので微妙な感じです。ドライブも旅行も、ラーメンもファミレスも焼き肉も、居酒屋もバーも、カラオケも買い物も水族館も、ライブもスポーツ観戦も…

私は自分が行きたいと思えば、いつも一人で行きます。そもそも、誰かを誘うという発想がありません。誰かと一緒に行くときは、会うことが目的であってどこに行くかは後付けです。

ずっとそれが当たり前だったので、寂しいとか周りがどう見ているのかなどは、あまり考えたことがありませんでした。確かにどこに行っても連れがいる人ばかりでしたが、それはたまたまであって、だからどうと思うこともなかったのです。

お一人様を推奨する風潮を知ってはじめて、自分が常に一人だったと気づきました。そしてそれを恥ずかしいと思う人がいることも知りました。その流れで言うと、どうやら私はお一人様上級者のカッコいい部類に入るようです。

 

お付き合いや有償でなら、人と一緒に出掛けることもありました。有償とは「仕事で」という意味です。20代の頃は、お小遣いを貰ってパパさんたちとよく旅行に行っていました。アフターみたいなものです。

普段は行かない場所や、自分では高くて行けない場所に連れて行って貰えたことは貴重な体験です。しかし、そのとき行った場所はほとんど覚えていません。本当に美味しいと思ったり感動したりできるのは、一人のときだけです

もちろん元夫や、付き合っていた男性などとは何度も一緒に出掛けました。それでもやっぱり、一人の方が楽しいのです。親と出掛けることは、しんどいので嫌いです。

人と出掛けるときの最高人数は、私と相手の二人です。それ以上の人数は、私にとってはプライベートではなく『イベント』です。イベントはずっと気を張って疲れるので、本当はあまり行きたくありません。

 

最近は本当に好きな人となら、一緒にご飯を食べたり飲みに行ったりするのが楽しいと思うようになりました。そういう人と一緒に飲みに行くと、私は結構酔っ払います。

私は、人と一緒に飲みに行ってもあまり酔いません。帰りに一人になって、飲み直しに行くと一気に酔います。一人で飲みに行くと、必ずしっかりと家には帰っていますが記憶がないときがあります。最近はだいぶ減りましたが、昔はよくありました。

今は、また一緒に飲みに行きたいと思う人が何人かいます。それでも一緒に行くのは、飲食とカラオケくらいかなと思います。他はまだ一人の方が楽しい気がします。アルコールがないと、きっと緊張して疲れてしまいます。

それに、一人ならずっと自分の好きに動けます。例えば私はクラゲが好きなので、水族館に行くのが大好きです。しかし何時間もクラゲの前に張り付いているので、他の人は一緒に行っても飽きると思います。私も気を遣って集中できません。

 

ぼっち』は良いことのように言われはじめていますが、本当のところは私にはわかりません。それしかできないだけで、好んでそうなった訳ではありません。

でも、寂しいという感情がないのは有難いことなのかもしれません。同じ一人で居るにしても、寂しいと感じてしまう人は辛いだろうなと思います。周りの目も… 私は、恐らく気づかないので平気です。

 

一人家に帰り、誰もいない部屋でただいまーと言う瞬間が、一番落ち着きます。家に帰って来たという実感が湧きます。よくこれで、二度も結婚したなと思います。どう考えても向いていません。

家には金魚さんがいるので、金魚さんには喋ります。庭にいる虫さんや、遊びに来た鳥さんにも喋ります。一人でも喋っています。私は結構お喋りです。

私はこんな暮らしが好きです。「きっとこれからも『ぼっち』で暮らして行くのだろうな」と思うと… 当然ながら、物理的に不安な面は山ほどです。けれども精神的にどうかと言われれば…

…実はちょっと嬉しく感じ、とてもホッとするのです。

 

( →:【うさぎ年表】での分類:ブログをはじめる )

接客は得意です!

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私は企業の接客マニュアルが嫌いです。いかにもセリフっぽくて、言うのも言われるのもゾッとします。私が「この人感じが良いな」と思う店員さんは、皆その人自身のマニュアル、その人自身の言葉で喋っています。

私も物心ついた頃から、自分なりの接客マニュアルを持っています。どんな職種でも応用可能で、事務でもコンビニでも風俗でも使えます。それは私のデータベースの大半を占める部分で、35年掛けて蓄積してきた自慢の逸品です。

 

前回の続きで、レジのネットワークが故障し現金以外が使えなくなるトラブルが起きたときのお話です。( → 前回の記事: 急に話し掛けられると…

私がシフトに入った時間帯に、急にレジが使えなくなりました。全て電子管理していたので、何もすることができません。お客さんの自己申告で電卓会計をするという「ゴネ得」の状況でした。

ひたすら説明と謝罪の繰り返しです。前例も対策マニュアルもなく、お客さんが来る度に問題点が浮き彫りになります。毎回その場で対処していくしかありません。

 

私は、そういう応対はへっちゃらです接客の業務中には、想定外のことは起きません。(相手が刃物を持っていたりすれば別ですが…) 私がホストで相手がゲスト、相手に満足して帰ってもらえれば良いだけです。私にとって、基本的に接客にイレギュラーはありません。

ただ他の人は、こういうときは逃げたくなるものだということを学びました。以前の私は、自分だけ逃げる人が理解できませんでした。私には逃げたくなる感覚がよくわからなかったので、ただの怠慢もしくは嫌がらせだと思っていました。

それで何度も上司や経営者とやり合い、幾つもの職場を辞めて来ました。でも、段々と「もしかしたら怖くて逃げたくなるのかもしれない」ことがわかってきました。それならそれで構いません。理由がわかれば別に良いのですが、訳もわからず理不尽なことが私は嫌だったのです。

案の定、先輩である相方は事務所の中で機器と睨めっこしたまま出てきません。管理会社からの折り返しを待っている間にできることは何もないのですが、今の私には理解できます。仕方がありません。

 

非常にお冠のお客さんが、レジの前でどんどんモンスター化していました。こちらのトラブルで申し訳ないのですが、物理的に不可能なことを延々と要求しはじめていました。

誠心誠意の応対をしていたと思うのですが、埒が明きません。これは長くなりそうだと覚悟をした頃、たまたま非番の店長から電話が入り、相方がトラブルの報告に関する通話をはじめました。

私はこれ幸いと、その回線を利用することにしました。電話を代わってもらい、敢えてお客さんの目の前で電話越しに店長へ事情を説明し、その状態で応対する作戦です。

 

お客さんは年配の男性で、はじめは理解を示していました。しかしQR決済で付くはずだった決済会社のポイントが付かないことをお伝えした所から急変し、大声で暴言を吐き続けていました。既に落とし処を見失い、引くに引けない状態だったのだと思います。

相手が年下の女性だったことも、事態を助長したかもしれません。それなら店長を出すことで、落とし処を与えようと考えました。大抵はお客さんの方から「責任者を出せ」と言い出すのが相場です。

店長の説明をお客さんに伝えた後「この電話はいま店長と繋がっておりますが、直接お話されますか?」と尋ねたら断られ、こちらの提案通りに理解してくれました。こういう場合は、きっかけさえあれば案外ピタッと収まるものです。

 

その後も別のお客さんが「自分は株主なのに、レジのトラブルなんて前代未聞。総会で訴えてやる」と言って暴れ出しました。株主優待も電卓で計算するのは、計算が苦手な私にとってはただでさえ大仕事なのに… やれやれです。

そのときも店長と電話が繋がっていたので、同じ方法で収めました。帰り道の夜風が、その株主さんの頭を少しでも冷やしてくれたらいいなと思いました。世の中色んな人がいるものです。

ほとんどのお客さんは理解してくださいます。却って安くなったことを謝ってくださる方や、トラブルを心配してくださる方が大半です。私は普段よりも雑談の機会が増えるので疲れますが。

 

実は、店長は数日前に赴任したばかりで、そのときの電話は私が彼と交わしたはじめての会話でした。顔も年代も知らないまま、赴任の挨拶もそこそこに私は彼を巻き込んで利用していました。そのことは後日詫びました。

私は店長との回線を利用することが、最も早い解決方法だと判断しました。「立っている者は親でも使え」私が好きな言葉で、よく採用する方法です。

その方法が最善だったのかはわかりませんが、結果オーライです。こういう応対は、私は十代の頃から得意でした。昔から色んな本や事例を見て覚えることが好きだったので、自然と身に付いたような気がします。

 

 

接客は役割が明確です。私は「渾身丁寧にもてなし、且つ、必要以上にへりくだることはしない」役割を演じれば良いのです。下手にへりくだることは、却って事態の悪化を招くことに繋がることが多いです。

毅然とした態度が必要なときもあります。私にとって接客とは、一種の心理ゲームです。一番の醍醐味は、ロボットには見えないロボットに成りきることセリフだと感づかれるようでは半人前です

攻略するほど上達し、会社もお客さんも助かります。顧客心理を駆使して満足して帰ってもらう。ゴールが明確なことは、私にとってさほど難しいことではありません。

 

ところが接客以外のプライベートになると、ゴールがわかりません。相手が何を求めているのかはそれぞれで、決してもてなして欲しい訳ではないと知りました。接客と同じことをすると巧く行かないのです。

私は最近までずっと、誰に対しても接客中と同じように接していました。前回の「ちょっと格好悪いうさぎ」の存在は、自分でも最近になって気がつきました。「対人モードをOFFにできるようになったことで、はじめて自覚したギャップです。( → 参考記事: 「対人モード」について

今回のような応対が「ちょっと格好良い」のかはわかりません。前回との比較でそう書いただけなのですが、おかげで大抵の接客業では困らずに仕事が勤まります。それは有難いことです。接客について、お客さんから苦情を貰ったことがないのは私の自慢です。

しかし、出会う人を皆「お客さん」としてもてなすだけの関係は、どうも寂しいものです。格好悪くてもいいから、対等な関係を築けるようになりたい。そう思うようになったので、今後もまた固まりつつ笑顔で誤魔化しつつ、何とかやって行けたらと思っています。

 

( →:【うさぎ年表】での分類:ブログをはじめる )

急に話し掛けられると…

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使っていないノートPCからも、hatenaにログインできたらいいなぁ。ふとそう思いつき、スマホからデザリングして色々とトライしてみたのですが、いくらやってもダメでした。

恐らく原因は、私がそういう系に疎いからです。それは4日前のことでした。11月1日の夕方、早くもスマホの通信量が1ヶ月の上限に達したうさぎです。今月どうしよう…

そんなこんなで…。世の中難しいこといっぱいあるけど、一番難しいのは生身のやり取り』だね。間違いないね。(←大好きなサンドウィッチマンの真似をしてみました)

 

最近は朝晩が寒くなりました。先日、夜勤明けで帰ろうとしたときに、入れ替わりで出勤した朝番の女性が「寒いから風邪引かないようにねー」と私に声を掛けてくれました。

私はウンともすんとも言えず、結局はニコッとしただけでお先でーすと言って帰って来ました。彼女とはいつも入れ違いで、最近のシフトでは週1回顔を合わせるかどうかの関係です。

普段はお互いに「お疲れ様でーす」「お先でーす」程度しか話さないことが多いので、急に声を掛けられ固まってしまいました。頭の中では咄嗟に幾つかの返事を考えましたが、これと言って相応しい言葉が見つかりませんでした。

変なが空いてしまうときは、頭が真っ白になり掛けている証拠です。焦って無理に喋っても、恐らく私は自分が何を言ったのかを覚えていません。後になって、長い長い反省会をすることになるパターンです。

そういうときは笑顔で首を少しだけ動かし、何も返さないことが一番です。笑顔というものは、相手を不快な気持ちにさせない最強の武器だと知っています。私にとっても、不用意に自分を傷つけなくて済む賢い対応です。

 

私はずっと『雑談』が得意だと信じてきました。でもそれは「想定の範囲内での、雑多な会話」のことでした。相手は純粋に雑談だと思ったとしても、私にとっては違います。その会話がはじまる前の『事前準備が必須です。

...恐らく、今から何か会話がはじまる。この人とは、前回はこんな話をこのくらいした。こういう場合はこういう価値観で、こんな風に話すことが多い。私がこういう言い方をしたときは、多分伝わっていなかった。この反応は喜んでくれた。こういう聞き方をすると会話が続く。さっきはあっちの話をしていたみたいで、今は少し不機嫌かな?

そこから推測をすると、今回はこういう話題になるのかも?だったらこの質問から入ろう。もしこっちの展開になったら、この間読んだあのフレーズが使えるのかも?それに、もしかしたらあの話も関連する?ってことは、その前にこっちの話へ振っておいた方が自然かな...

そして、それに対する私の認知度、相手の状況、会話の所要時間の目安...あらゆる情報の整理と、データベースとの照合を行います。相手に慣れてくると、その作業時間は短縮できます。

 

それらの準備ができていると、私は相手が誰でもちゃんと雑談ができます。私は、状況によっては自分からも良く話し掛けます。その方が自分のペースで準備ができるので、却って話しやすいのです。準備が中途半端でも、身に付けたスキルと応用力で何とかします。

しかし、はじめの今から何か会話がはじまるという心積りができていないと、これはもう致命的です。急に会話がはじまったことにびっくりし、全く反応ができません。焦ってとんちんかんなことを言うか、何も言えずにニコニコして誤魔化すかのどちらかです。

ばったり知人と会って声を掛けられることが、とても嫌いです。どんなに普段は楽しく話せる相手であっても、急に会うとしどろもどろになります。

その場合は「おー」や「久しぶりー」などの些細な一言さえ、全く口を衝きません。「あ…」とか「う…」とか、言葉にならない何かを出すのが精いっぱいです。

 

相手の声は『音』としてちゃんと記憶しています。でも「その言葉の意味」を、脳が理解していかないのです。急に知らない外国語で話し掛けられたような感覚になります。えっと、あの、アイキャントスピークイングリッシュです… といった心境です。

どんなに英語が得意でも、ぶっつけの同時通訳は相当難しいと聞きます。もしも他のことを考えているときに突然話し掛けられ、その内容を瞬時に訳して口に出して言うとなると、更に難易度が上がるのではないかと思います。

同時通訳をされる方も「今から訳す」という心構えを持ってから、相手の言葉に耳と意識を傾けているのだと思います。あくまでも想像上の話です。そもそも私は、日本語以外わかりません...

しかし私は、それと似たようなことが母国語での会話で起きているような気がします。同時通訳と同列に並べるのはとてもおこがましいですが、どちらも事前の心積りは少しでも欲しいもの。寝耳に水は厄介です。

 

私は会話やコミュニケーションに関しては、物心ついた頃からかなりの数のデータベースを集めて分析してきた自負があります。それでも先日のように想定外の場面では、ほとんどと言って良いほど役に立ちません。

「今から話す」ということがわかっていれば、ちょっと皮肉の利いたユーモラスな返しもできる自信があります。私は相手の冗談や皮肉は本気にすることが多いですが、自分で言うことは好みます。…ちょっと質が悪いです。

 

それでも私は、接客の仕事が得意です。矛盾しているように思いますが、実際に長い接客業経験で会話に困ったことがほとんどありません。私にとって、接客は生身のやり取りでは無いからです。

先日は何も言えず後にした職場で、そのちょうど一週間前のこと。レジのネットワークが故障して、現金以外が使えなくなるといったトラブルが起きました。数時間もの間「電卓でのお会計」をした、今どき貴重な体験です。

そのときの私は、まるで別人です。自分でも奇妙に思う程、全く違います。次回はそのときのお話です。今回は「ちょっと格好悪いうさぎ」でしたが、次回は「ちょっと格好良いうさぎ」の予定です(?) ( → 次の記事: 接客は得意です!

 

( →:【うさぎ年表】での分類:ブログをはじめる )

「あー、っぽいかも…」

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前回の続きになります。私の高校時代からの友人、マリとのエピソードです。

 ( → 前回の記事: 唯一の旧友 「マリ」 )

 

「また離婚をして引っ越しました」と年賀状に書いたら、彼女が家に遊びに来てくれました。私は久しぶりの一人暮らしにほっとして元気でしたが、彼女なりに心配して様子を見に来てくれたのだと思います。

彼女がお惣菜を買ってきてくれて、一緒にお昼ご飯を食べながら2~3時間ほど話をしました。その時は本当に久しぶりで、いつ以来なのか二人の記憶が一致せずに随分と考えました。

結局、どうやら道でバッタリ会って以来5年ぶりだと判明し近況報告をはじめるも「あれ?どこまで話してたっけ?」とお互いにわからず、それだけでかなり時間を費やしました。珍しく、双方向のおさらいです

 

その中で、マリの旦那さんと中学生になった長男の話になりました。私も面識があるので少しは知っています。「実は少し前に、旦那がADHDの診断を受けたんだよね。長男も、診断はついてないけどどうもグレーゾーンっぽいと彼女は言いました

私はもちろん、それがどんな問題なのかを知っていました。時を同じくして、まさに発達障害について貪るように調べまくっていたからです。その頃は丁度、精神科でWAIS-IIIテストを受け、結果を聞いたままドロップアウトしてしまった直後でした。

しかし彼女との20年以上の付き合いの中で、それまで「発達障害」と言うワードが出たことは一度もありません。何てタイムリーな話をするのだろうと思いました

それでも私は、他人事のような顔でマリの話を聞いていました。自分も発達障害のグレーゾーンで悩んでいるとは、まだ人に言える心境ではありませんでした。それに突然そういう話になったことにびっくりし、彼女の話を聞くだけで精一杯でした。

その割には特性やWAIS-IIIなどの専門的な話がすんなり成立していたと思うのですが、マリにとっては私がそのくらい知っていても特に違和感はないようです。普通はそこまで知らないものだと思います。たまに彼女は、私を買い被るきらいがあります。

 

一通り話が終わると、他の話題に移りました。何の話題になったのかは覚えていませんが、少しして私はトイレに立ちました。

その間、彼女は手持ち無沙汰だったようで、私の部屋を一瞥したようです。戻って来た私に向かって、驚いたように壁際の一角を指差し「…何でこれがあるの?」と尋ねてきました。

彼女が指差したのは、私が適当な端材に釘を打って作った机上の小さな本棚です。その中で大半を占める心理学の本に紛れ、僅か3冊だけ女性の発達障害関連の本」がありました。

本当に全く目立たないので、私はまさかそれに気がつく人がいるとは思ってもいませんでした。それもほんの1分足らずの時間です。自分で言うのも何ですが、私の部屋には他にもっとたくさん突っ込み所がある筈にも関わらず…

 

つい今し方までその話をしていたので、さすがに私もばつが悪くなりました。しかしそのおかげで幸いにも、彼女が発達障害についての知識をかなり持っていることはわかりました。

もうこれ以上は誤魔化しても良くないと観念し、私は正直に話しました。自分がアスペルガーのグレーゾーンではないかと疑って、色々と調べていたこと。検査を受けてドロップアウトしたこと。さっきは言えなくてごめんね、と。

私はとても怖くなりました。まさか彼女に打ち明けることになろうとは、その瞬間まで考えてもいませんでした。全く心の準備ができていません。

それにきっとそうだよと言われるのも違うんじゃない?と言われるのも、どちらも怖かったのです。彼女が何て答えるのか、不安で気が気ではありませんでした。

マリほど私のことを知っている人が言う言葉は、恐らく的を得ているのではないか?でも私は、彼女とだけは巧く行っています。彼女は知らない困りごとがいっぱいあるのに、もし笑い飛ばされてしまったら何と答えれば良いのだろう…

 

マリは少しだけ驚いた表情をしましたが、すぐに納得したように頷いて言いました。

〖あー、確かに。言われてみれば、っぽいかも…〗

私は何と思ったら良いのかわからずに、彼女の言った「っぽいかも」という言葉をただ頭の中で反芻していました。

〖うん、ヤバかったよね…〗

もうどんな心理状態だったのか、自分が何か喋ったのかさえ覚えていません。ところがその後に彼女が続けた言葉は、私が全く予想だにしなかったものでした

〖世界史のテストのときの暗記力とか、マジで半端なかったもん(笑) そういう所とか、かなり「っぽい」よねー〗

…私はポカンと口を開けて、暫く絶句しました。マイナス面を指摘されるとばかり思っていたので、彼女が言ったことが直ぐには理解できませんでした。

 

彼女は、私の得意な面を言ったのです。確かに世界史のテストは、私にとって「攻略しがいのある恰好のパズル」でした。当日漬けの即興暗記で私は毎回、面白いほどの点数を叩き出していました。

点数はマリも知っていました。私が答案返しのときにいつもいないので面倒に思った担任が、私の答案用紙を全てマリに預けるようになったからです。

放課後のファーストフード店で、マリから小言と答案用紙のセットを受け取ることは、当時の私にとって数ヶ月毎の日課のひとつでした。本当に彼女は感心なほど、当時の細かいことをよく覚えているのです。

 

 

その後のことは、何を話したのか全く覚えていません。彼女を送り出したときの記憶もありません。気づいたときには日が傾きかけた部屋で一人、まだこんな時間かぁ… と時計を眺めていました。

それ以来、スーパーで会ったときも先日飲みに行ったときも、彼女の家族の話は聞きますが、私の件については一度も触れることがありませんでした。彼女も意図的に触れないのか、たまたまなのか。それとももう忘れているのかもしれません。

私も、自分からは話しません。未だに私はどうやって切り出したらいいのかがわからないのです。それに、マリとはその話をする必要がない気もします。私たちは基本的に、相手の生活や悩みにそこまで関心がないからです。

 

私たちは会えばたくさん話しますが、相手の話す内容に立ち入ることも、アドバイスをすることもありません。「ただ喋るだけ」です。

相手がどんな生活をしていようと、どんなトラブルを抱えようと、それで疎遠になったり失望したりすることはないと知っているからです。もしそうなるのなら、20年前にとっくになっています。元々が違う世界の住人であることを承知の上で、私たちの付き合いははじまっています。

だからいつ会っても、そのときに自分が話したいことを話し、聞きたいことを聞いて、返したいことを返したら終わりです。次回の約束もしません。別れた後のありがとうメールもしません。

それでも私たちはきっと、また会います。そしてまた近況報告をし、同じようなおさらいを繰り返すのだと思います。私はそんな関係が心地良いです。それはマリにとっても同じだと言うことを、やはり私は知っています。

 

マリと私は恐らく、お互いに懐中電灯のような存在なのだと思います。普段は戸棚の奥にしまったまますっかり忘れていますが、何かあったときにはとても重宝します。一件が治まると、また元に戻して日常生活を送ります。

しかし懐中電灯をしまった場所は、決して忘れません。そしてたまにふと思い出し、ちゃんと明かりが点くのか状態を確認してみたりするのです

辺りが闇に包まれれば包まれるほど、その光の明るさと温かさは心強く感じられるものだと、私たちは知っているからです。

 

( →:【うさぎ年表】での分類:アスペルガーを疑いはじめる )

唯一の旧友 「マリ」

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高校一年の4月以降、ずっと私のことを知ってくれている友人がいます。彼女とは、もう20年以上の付き合いになります。ここでは「マリ」と書くことにします。

 

マリは高校の同級生ですが、私の一番旧い友人です。私には、それ以前の友人がいません。中学校までの地元の同級生とは卒業して以来、誰とも繋がりが無いからです。

そして、ここ1~2年でやっと人との繋がりを継続できるようになるまで、すべてがそのとき限りの付き合いでした。私がその都度『リセット』をしてしまった結果でもありますが、そうしなくとも疎遠になっていたかもしれません… ( → 参考記事: リセット症候群 )

マリ以外にも、高校の部活仲間であった2人の友人とは数年前まで連絡を取り合っていました。でも今はもう、全く連絡を取っていません。

それまでは彼女たちとも1~2年に一度は会っていましたが、私は彼女たちに会うととても疲れてしまうと気づきました。どうしても早く一人になりたいと思ってしまうので「また会おう」と話すのが段々と申し訳なくなりました。

 

マリとは一年と三年で同じクラスでした。特に三年生の頃は、週に一度は放課後にファーストフード店などで会っていたのではないかと思います。

もちろん同じクラスなので、教室でも会えば話します。しかし、私は半分くらいしか学校へ行っていなかったので、学校以外で会うことの方が多かった気がします。

実は高校入学式の日、私が一番はじめにうるさい!と距離を置いた相手がマリです。名前の順で、私の前が彼女でした。

余りにテンションが高く、声はでかいし馴れ馴れしい… とてもじゃないけど関わりたくないと思い、話し掛けられて数秒で私は逃げました。

それなのに何故か、一学期が終わる頃には仲良くなっていました。彼女は何かの係をやっており、人知れず苦労している姿を見て「意外と良いやつだな」と思ってから徐々に話すようになった記憶があります。

 

彼女は、私とは全く違う人生を歩んでいます。高校卒業後は進学し、フルタイムで働きながら予備校時代の同級生と結婚。二人の子宝に恵まれ、今も共働きで生活しています。全体的に見れば、私たちの世代では王道パターンの真っ当な人生を歩んでいます。

それでも、彼女と私は今でも友人です。高校卒業後に風俗業界へ進み、バツ2でキャリアもなく常にはみ出し者の私に対し、彼女は普通に接し続けてくれています。

彼女は私のような生き方をしませんし、子供にもさせたいとは思わない筈です。でも、だからと言って私に偏見を持つこともなく、お説教をすることもありません。

彼女にとっての私は、相変わらず高校時代と同じただの「変なやつ」で、それは私にとっての彼女も同じです。私から見れば、私と付き合い続けられる彼女の方がよっぽど変わっていると思います。そして、ただただ感謝です。

 

最近は、よく彼女と会います。ここ半年で5回以上は会いました。と言っても、私が働いているスーパーに彼女が犬の散歩がてら買い物に来て、ちょっと言葉を交わす程度です。

家が近いことは知っていましたが、ある日レジで接客中に彼女が来て、二人でびっくりしました。それからはたまに、ふらっと寄ってくれるようになりました。

高校時代からずっと、私が転々と引っ越しをしても何だかんだ車で30分ほどの距離に住んでおり、ここ10年はお互いの生活圏内に住んでいます。会うと「いつも家のすぐ裏を通って出勤してるよ」と話すほどです。

しかし、余程のことがないと私たちは、なかなか約束をして会うことがありません。5年以上、年賀状だけの時期もありました。それなのに、忘れた頃に道を歩いていてバッタリ会うから不思議です。

 

 

ここ2年で、私たちは二度も約束をして会いました。これは相当なハイペースです。私が離婚をして今の家に越してきたとき彼女が遊びに来てくれたのと、この間は久しぶりに二人で飲みに行きました。

相変わらず声はでかいし、会うとほとんど彼女が喋っています。ざっと近況報告が終わると、大抵いつも「高校時代のおさらい」がはじまります。

私は当時の人や出来事をほとんど覚えていません。本当は当時もあまり興味がなかったので、そもそも知りません。彼女が何か話す度に「おさらい」をしないと、私は内容が理解できずに会話が進まないのです。

 

先日は、三年生のときに同じクラスになったのは偶然ではなく「選択教科によって振り分けられた結果」だったとはじめて知りました。

私はずっと10クラスもある中で二度も同じクラスになるなんて、凄い確率だな… と密かに嬉しく思っていたのですが、どうやら必然だったようです。何でそんなこと知っているの?と聞くと「皆知ってるよ。ってか、何で知らないの!」と呆れられました。

私は、彼女と話すときも緊張してあまりうまく話せませんが、彼女と話すことが嫌いではありません。彼女は彼女で、毎回同じようなおさらいを繰り返し話す羽目になりますが、それが苦ではないことを私も知っています。

 

一通りおさらいが終わると、後はもうどうでも良い話題になります。この間は〆のラーメン屋さんで「近所の大通りについて一時間くらい話していました

いわゆるガールズトークにならないことが、私にとってはとても有難いです。その点が、女性が苦手な私が彼女とはずっと続いている所以だと思っています。

その大通りが開通前はどこで途切れていたのか、どう迂回していたのか、いつ開通したのか... などを、地元民の彼女が事細かに教えてくれます。私は大抵ほとんど覚えていませんが、そういう時間は楽しいです

 

私がマリのことを書くのには、理由があります。私が自分が発達障害かもしれないと受け入れた過程に、彼女が一枚噛んでいるからです。それは長くなるので、次回へと続きます… ( → 次の記事: 「あー、っぽいかも…」)

 

( →:【うさぎ年表】での分類:アスペルガーを疑いはじめる )

やることがたくさん…

 

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A1つ」よりも、

B5つの方が大きい

…これは算数の問題ではありません。私にとって、日常で「やらなくてはいけないこと」の数です。

①の単位を『平均5分くらい』とします。Aは、1時間近く掛かる大掛かりな作業です。例えば「ストーブをしまう」こと。今後暫く使わない石油ストーブを分解して、パーツ毎に綺麗に拭き、元に戻してカバーを被せて片付けることがそれに当たります。

Bは、直ぐに終わるちょっとしたことです。例えば「ゴミをまとめる」「洗濯物を干す」「ビニール袋をまとめてしまう」「少量の食器を洗う」「ネギを半分に切って冷蔵庫に入れる」などの、よくある家事です。数は5つでも、さっさとやれば全部で30分くらいで終わります。

 

普通に考えたら、Aの方が大変です。たったひとつなのに、Bに比べ2倍の時間が掛かります。それに、意外と頭も使います。でも、私にとってそれは問題ではないのです。

もし他にやらなければいけないことがなければ、私はAをやるのに何の抵抗も感じません。確かに手間の掛かる作業ですが、それだけひとつやれば良いのです。さっさとやります。

もし他にやらなければいけないことがなくても、私にとってBをやるのはとても大変です。数の多さに圧倒され、暫く呆然としてしまいます。まずは頭を落ち着かせて、何からやれば良いのか考えるところからスタートです。結局、ひとつも手を付けられずに1日が終わることもあります。

私にとって、ひとつひとつの大変さや所要時間は関係ありません。①も⑩も同じ1カウントです。全部で『幾つのことをやらなければいけないか』が問題です。Aは1つ、Bは5つなので、Bの方が5倍大変なのです。

 

実際には生活していく上で、Aしかやらなければいけないことがない日などありません。従ってAがある場合、上記の例で言うと5+1で6つになります。もっと大変です。

一番大変なのは水曜日です。私は生協のひとつ「生活クラブ」の宅配を利用しており、水曜日がその宅配日です。野菜はできるだけ近所の直売やJAで買いますが、それ以外の食材や日用品のほとんどを私は生活クラブで購入しています。よって、一番物が増える日です。

それに、水曜日は今の私にとって唯一のお休みです。夜勤で週6日働いているので、水曜日には普段はできない色々なことをやりたいのです。他の日にもやりますが、疲れてできないこともあるので結果「水曜日にやろう」となり、負担が集中します。

私はいつも『やることリスト』を作ります。例えばやることが6つもあると、何からやれば良いのか途方に暮れてしまうからです。そのリストは、水曜日だけは何倍にもなります。

 

前回も書きましたが、生活するとは「物が動く」ということです。私の家は物が多くも少なくもなく、普通のはずです。そして自分でも、常に綺麗に保てていると思います。

私の家の物には全てに住所(定位置)があり、そこに収まっていてくれないと私は嫌なのです。ネギは冷蔵庫の定位置にあって欲しいのです。泥つきで長いのは嬉しいですが、定位置以外の場所にあるのは困ります。

全てのものが定位置に収まっている状態が、私には必要です。

・流しには食器がなく、食器も全て定位置にある。

・洗濯物カゴにも何もなく、服も全て定位置にある。

・床にはゴミがない。

・机の上には余計な物がない。

・布団は綺麗に敷いてあるか、もしくは定位置に畳んである。

 

それらが全て揃ってはじめて、私は心からほっとできます。家の中でどこにいても構わないのは、私とスマホくらいです。他は全て綺麗に収まっていてくれないと、私は落ち着けません。

 

定位置にあるものを、意図して使うことは構いません。私は食べることも料理をすることも好きなので、料理をすることはいちいちリストに入れなくてもできます。入れるとしても「ごはん」で済みます。

料理はなるべく一皿にまとまるようにはしていますが、他はあまり気にしません。ガスコンロで揚げ物もします。使用したガスコンロの掃除は料理の一環なので、食べる前に綺麗にするので問題にはなりません。但し、食べた後の食器の片付けは1カウントです。

今は、あまり電化製品を持たない生活をしています。最低限はありますが、無くてもいいものは持っていません。『電化製品自体の掃除が発生するからです。便利な物も、使えば当然汚れます。だったら「ない方が落ち着く」という結論に達しました。

私にとって、食器を手洗いするのも、食洗機を回すのも同じ1カウントです。乾いた食器を戻すのも、それぞれ1カウント。食洗機は、定期的にメンテナンスが必要です。どう考えても、食洗機がある方がやることが増えるのです。

一人暮らしだからと言うのは、多分にあると思います。大家族だったらきっと違うのでしょう。今のところ、世の中の『便利さ』はどうやら私には当て嵌まらないようです。

 

リストの数は、定位置に収まっていない物の数です。その数が多いと「部屋の中がぐちゃぐちゃだ!」と思って頭の中がパニックになります。特に、疲れて動けないときなどは、座り込んで泣いてしまうこともあります。

しかし恐らく、実際には大したことないのです。「数」が多いだけで、全体量や個々の手間は少ないはずです。普段から常にベースは整っているので、物を定位置へしまえば良いだけのことなのです。

それなのにできないのは、そもそも物が動いていることで既に落ち着きを失っている』からだと思います。それに、家の中が私にとって『大切な場所』だからかもしれません。

自分の家以外は、私にとってどうでもいい場所です。仕事なら作業がたくさんあっても大丈夫だからです。言い方は悪いですが、私は仕事は自分の好きなことしかしません。仕事はゲームだと思っています。( → 参考記事: もうひとつの方のバイトのこと夜な夜なパズル!ー前編ー )

 

家の中も、仕事のようにゲーム感覚でできれば良いのですが... 難しいです。ちなみに今はとても気分が良いです。やはり私は、家が綺麗に片付いていると落ち着きます。

今日の「残りのリスト」は、このブログをアップして寝ることです。私はお布団へ、スマホは充電器へ。それで完璧に、全てが定位置に収まります!

 

( →:【うさぎ年表】での分類:ブログをはじめる )

揃っていないと気持ち悪い!

 

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アスペルガーについての本を読んだときに「これは凄くわかる!!」と思ったことがあります。ハンガーについてです。

私は、クローゼットの中がきちんと揃っていないと、気持ち悪くて仕方がありません。まずは、ハンガーの種類です。普通の形のハンガーでも、スカート用やパンツ用のハンガーでも、同じシリーズのもので揃っていないとダメです。

そして、向きです。ハンガーの向きをバラバラに掛けることなどあり得ません。服の向きも揃えます。どんな種類の服でも、必ず前見頃が左側にくるように掛けます。ひとつでも違うと気に入りません。

最後に、服の順番です。これは衣替えの度に若干変わりますが、丈の長さと色でおおよその順番が決まっています。洗濯の後に戻すときは、必ずそのセオリーの範囲内に戻します。おかげでいつもクローゼットの中は綺麗です。

 

これは子供の頃からでした。はじめてクローゼットができたのは中学一年生のときで、気づいたらそうしていました。自分の服は自分で片付けるのが当たり前だったので、親に手を加えられたことはありません。

親の部屋のクローゼットは、私からすると信じられない状態でした。ハンガーの種類も、ハンガーや服の向きも、服の丈も色も、それこそシャツもパンツもワンピースもお構い無しです。私の母親は、そういうところに無頓着です。

しかし何年かして、母親と父親のクローゼットが別になり、それぞれが自分で管理するようになったようでした。それを見て、私は思わず笑ってしまいました。父親のクローゼットが、私の以上に整然としていたからです。

私は、幼い頃から父親が大嫌いでした。しかし、そういうところは嫌というほどそっくりです。父親についてはまたいつか書きますが、私以上にアスペルガーの要素が多分にあると思います。遺伝だとしたら父親からです

 

自分のクローゼットは自分で管理するので問題ないのですが、自分以外のクローゼットはそうもいきません。結婚していたときは辛かったです。元夫のクローゼットは、当然ですが彼も触るからです。

元夫は家事を一切やらない人だったので、彼の服も洗濯からクローゼットへしまうまで全て私がやっていました。私は自分のほどではないにしろ、どうしてもある程度は揃えてしまいます。

しかし彼は無頓着です。出しかけた服を戻すとき、適当な場所に適当な向きで戻します。それに気づく度に私はイライラし、我慢できずにちゃんと直します。ずっとその繰り返しでした。

恐らく彼や、私の母親みたいな感覚の方が、世間では「普通」なんだと思います。私が細か過ぎるのだとわかっています。でも、どうしても気持ちが悪いのです。揃っていないと落ち着かないのです。

 

それでも、服はまだ良い方です。いっぺんに何着も着ることはありませんし、普段何もしなければそこに大人しく収まっていてくれるからです。

日常で使うものは大変です。私は全ての物が定位置に綺麗に収まっていないと嫌なのですが、生活するということは「物が動く」ということです

今は一人暮らしなのでまだマシな方ですが、それでも毎日のようにリビングの椅子の上で暫く呆然としています。実は、今もその状態です。今日は一番大変な『水曜日』だったので特にです。

私は「片付けること」が複数溜まると、途端に動けなくなります。自分でも神経質だと思うくらい綺麗でないと落ち着かない癖に、複数のことを目の前にすると何もできなくなってしまいます。

 

魔法』が掛かるとバカみたいに動くのですが、今は掛かっていません。魔法とは、マリオの「スーパースター状態」みたいなものです。(私は初代のスーパーマリオしかわかりません。星のアイテムを取ると、敵に当たっても死ななくなる状態をイメージしています)

これは、期間限定の『何でも出来るモード』でとても有効です。大掃除や衣替え、物の定位置の変更ができるのは、全てこの状態のときです。常に魔法を掛けていれば良いのですが、掛け過ぎると後に疲労というツケが回ってきます。だから期間限定なのです。

先週の私は、魔法が掛かっていたのでとても動きました。壊れたまま使っていた扇風機を買い替えて処分し、冷蔵庫の中を全て出して掃除し、お蔵入りしていたBluetoothのキーボードを引っ張り出してスマホにペアリングしました。

その反動もあり、今週は諦めています… スマホを充電するのさえ一苦労で、ここ数日で何度も電源が落ちました。そもそも『魔法』です。もし常用できるのなら、それは魔法ではなく性格です。

 

…何を書いているのか、自分でもわからなくなりました。①やることが複数溜まると動けなくなること。②神経質過ぎるこだわりと魔法について。この二つを、またの機会に書こうと思います。

 ※ 更新しました。( → ①: やることがたくさん… )

とりあえず今はもういい加減、逃げるのをやめて部屋を何とかしたいです。折角の休みなので、仕事が終わる前から「明日はあれもこれもやりたい!」とわくわくしていたのに、まだ何もはじめていません。

「やることリストを作ろう」と思って、既に半日以上が経ちました。私はまずリストを作らないと、何から手を付けたら良いのかがわかりません。気持ちだけが焦って、どんどん部屋が散らかる一方です。余計に気持ちが滅入ります。

 

ブログを書くことは好きです。やらなければいけないことが山ほどあるにも関わらず、書きはじめたら止まりません。今日もやることリストを作る前に、次のブログの「内容」だけ先に決めておこうと思いアプリを開いたら最後、気づけば今に至ります。

画面を見ているときは良いのですが、ふと画面から目を離して部屋を見渡すと泣きたくなります。また順番を間違えているな、と感じます。

ブログを現実逃避の道具に使ってしまったようで、何となく気が引けます。でも、それを許せる余裕を持つことも必要だと思います。私の好きな名言に倣って、何もできなかった半日を「ブログを書けたので有意義だった」と思うことにします…

 

『何も出来ない日や時には、後になって楽しめないようなものを作ろうとするより、ぶらぶらして過ごしたり、寝て過ごす方がいい』

(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)

 

( →:【うさぎ年表】での分類:アスペルガーを疑いはじめる)