glay-usagi’s diary

ASDグレーゾーン「うさぎ」の、理解されない人生の記録

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「あー、っぽいかも…」

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前回の続きになります。私の高校時代からの友人、マリとのエピソードです。

 ( → 前回の記事: 唯一の旧友 「マリ」 )

 

「また離婚をして引っ越しました」と年賀状に書いたら、彼女が家に遊びに来てくれました。私は久しぶりの一人暮らしにほっとして元気でしたが、彼女なりに心配して様子を見に来てくれたのだと思います。

彼女がお惣菜を買ってきてくれて、一緒にお昼ご飯を食べながら2~3時間ほど話をしました。その時は本当に久しぶりで、いつ以来なのか二人の記憶が一致せずに随分と考えました。

結局、どうやら道でバッタリ会って以来5年ぶりだと判明し近況報告をはじめるも「あれ?どこまで話してたっけ?」とお互いにわからず、それだけでかなり時間を費やしました。珍しく、双方向のおさらいです

 

その中で、マリの旦那さんと中学生になった長男の話になりました。私も面識があるので少しは知っています。「実は少し前に、旦那がADHDの診断を受けたんだよね。長男も、診断はついてないけどどうもグレーゾーンっぽいと彼女は言いました

私はもちろん、それがどんな問題なのかを知っていました。時を同じくして、まさに発達障害について貪るように調べまくっていたからです。その頃は丁度、精神科でWAIS-IIIテストを受け、結果を聞いたままドロップアウトしてしまった直後でした。

しかし彼女との20年以上の付き合いの中で、それまで「発達障害」と言うワードが出たことは一度もありません。何てタイムリーな話をするのだろうと思いました

それでも私は、他人事のような顔でマリの話を聞いていました。自分も発達障害のグレーゾーンで悩んでいるとは、まだ人に言える心境ではありませんでした。それに突然そういう話になったことにびっくりし、彼女の話を聞くだけで精一杯でした。

その割には特性やWAIS-IIIなどの専門的な話がすんなり成立していたと思うのですが、マリにとっては私がそのくらい知っていても特に違和感はないようです。普通はそこまで知らないものだと思います。たまに彼女は、私を買い被るきらいがあります。

 

一通り話が終わると、他の話題に移りました。何の話題になったのかは覚えていませんが、少しして私はトイレに立ちました。

その間、彼女は手持ち無沙汰だったようで、私の部屋を一瞥したようです。戻って来た私に向かって、驚いたように壁際の一角を指差し「…何でこれがあるの?」と尋ねてきました。

彼女が指差したのは、私が適当な端材に釘を打って作った机上の小さな本棚です。その中で大半を占める心理学の本に紛れ、僅か3冊だけ女性の発達障害関連の本」がありました。

本当に全く目立たないので、私はまさかそれに気がつく人がいるとは思ってもいませんでした。それもほんの1分足らずの時間です。自分で言うのも何ですが、私の部屋には他にもっとたくさん突っ込み所がある筈にも関わらず…

 

つい今し方までその話をしていたので、さすがに私もばつが悪くなりました。しかしそのおかげで幸いにも、彼女が発達障害についての知識をかなり持っていることはわかりました。

もうこれ以上は誤魔化しても良くないと観念し、私は正直に話しました。自分がアスペルガーのグレーゾーンではないかと疑って、色々と調べていたこと。検査を受けてドロップアウトしたこと。さっきは言えなくてごめんね、と。

私はとても怖くなりました。まさか彼女に打ち明けることになろうとは、その瞬間まで考えてもいませんでした。全く心の準備ができていません。

それにきっとそうだよと言われるのも違うんじゃない?と言われるのも、どちらも怖かったのです。彼女が何て答えるのか、不安で気が気ではありませんでした。

マリほど私のことを知っている人が言う言葉は、恐らく的を得ているのではないか?でも私は、彼女とだけは巧く行っています。彼女は知らない困りごとがいっぱいあるのに、もし笑い飛ばされてしまったら何と答えれば良いのだろう…

 

マリは少しだけ驚いた表情をしましたが、すぐに納得したように頷いて言いました。

〖あー、確かに。言われてみれば、っぽいかも…〗

私は何と思ったら良いのかわからずに、彼女の言った「っぽいかも」という言葉をただ頭の中で反芻していました。

〖うん、ヤバかったよね…〗

もうどんな心理状態だったのか、自分が何か喋ったのかさえ覚えていません。ところがその後に彼女が続けた言葉は、私が全く予想だにしなかったものでした

〖世界史のテストのときの暗記力とか、マジで半端なかったもん(笑) そういう所とか、かなり「っぽい」よねー〗

…私はポカンと口を開けて、暫く絶句しました。マイナス面を指摘されるとばかり思っていたので、彼女が言ったことが直ぐには理解できませんでした。

 

彼女は、私の得意な面を言ったのです。確かに世界史のテストは、私にとって「攻略しがいのある恰好のパズル」でした。当日漬けの即興暗記で私は毎回、面白いほどの点数を叩き出していました。

点数はマリも知っていました。私が答案返しのときにいつもいないので面倒に思った担任が、私の答案用紙を全てマリに預けるようになったからです。

放課後のファーストフード店で、マリから小言と答案用紙のセットを受け取ることは、当時の私にとって数ヶ月毎の日課のひとつでした。本当に彼女は感心なほど、当時の細かいことをよく覚えているのです。

 

 

その後のことは、何を話したのか全く覚えていません。彼女を送り出したときの記憶もありません。気づいたときには日が傾きかけた部屋で一人、まだこんな時間かぁ… と時計を眺めていました。

それ以来、スーパーで会ったときも先日飲みに行ったときも、彼女の家族の話は聞きますが、私の件については一度も触れることがありませんでした。彼女も意図的に触れないのか、たまたまなのか。それとももう忘れているのかもしれません。

私も、自分からは話しません。未だに私はどうやって切り出したらいいのかがわからないのです。それに、マリとはその話をする必要がない気もします。私たちは基本的に、相手の生活や悩みにそこまで関心がないからです。

 

私たちは会えばたくさん話しますが、相手の話す内容に立ち入ることも、アドバイスをすることもありません。「ただ喋るだけ」です。

相手がどんな生活をしていようと、どんなトラブルを抱えようと、それで疎遠になったり失望したりすることはないと知っているからです。もしそうなるのなら、20年前にとっくになっています。元々が違う世界の住人であることを承知の上で、私たちの付き合いははじまっています。

だからいつ会っても、そのときに自分が話したいことを話し、聞きたいことを聞いて、返したいことを返したら終わりです。次回の約束もしません。別れた後のありがとうメールもしません。

それでも私たちはきっと、また会います。そしてまた近況報告をし、同じようなおさらいを繰り返すのだと思います。私はそんな関係が心地良いです。それはマリにとっても同じだと言うことを、やはり私は知っています。

 

マリと私は恐らく、お互いに懐中電灯のような存在なのだと思います。普段は戸棚の奥にしまったまますっかり忘れていますが、何かあったときにはとても重宝します。一件が治まると、また元に戻して日常生活を送ります。

しかし懐中電灯をしまった場所は、決して忘れません。そしてたまにふと思い出し、ちゃんと明かりが点くのか状態を確認してみたりするのです

辺りが闇に包まれれば包まれるほど、その光の明るさと温かさは心強く感じられるものだと、私たちは知っているからです。

 

( →:【うさぎ年表】での分類:アスペルガーを疑いはじめる )

唯一の旧友 「マリ」

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高校一年の4月以降、ずっと私のことを知ってくれている友人がいます。彼女とは、もう20年以上の付き合いになります。ここでは「マリ」と書くことにします。

 

マリは高校の同級生ですが、私の一番旧い友人です。私には、それ以前の友人がいません。中学校までの地元の同級生とは卒業して以来、誰とも繋がりが無いからです。

そして、ここ1~2年でやっと人との繋がりを継続できるようになるまで、すべてがそのとき限りの付き合いでした。私がその都度『リセット』をしてしまった結果でもありますが、そうしなくとも疎遠になっていたかもしれません… ( → 参考記事: リセット症候群 )

マリ以外にも、高校の部活仲間であった2人の友人とは数年前まで連絡を取り合っていました。でも今はもう、全く連絡を取っていません。

それまでは彼女たちとも1~2年に一度は会っていましたが、私は彼女たちに会うととても疲れてしまうと気づきました。どうしても早く一人になりたいと思ってしまうので「また会おう」と話すのが段々と申し訳なくなりました。

 

マリとは一年と三年で同じクラスでした。特に三年生の頃は、週に一度は放課後にファーストフード店などで会っていたのではないかと思います。

もちろん同じクラスなので、教室でも会えば話します。しかし、私は半分くらいしか学校へ行っていなかったので、学校以外で会うことの方が多かった気がします。

実は高校入学式の日、私が一番はじめにうるさい!と距離を置いた相手がマリです。名前の順で、私の前が彼女でした。

余りにテンションが高く、声はでかいし馴れ馴れしい… とてもじゃないけど関わりたくないと思い、話し掛けられて数秒で私は逃げました。

それなのに何故か、一学期が終わる頃には仲良くなっていました。彼女は何かの係をやっており、人知れず苦労している姿を見て「意外と良いやつだな」と思ってから徐々に話すようになった記憶があります。

 

彼女は、私とは全く違う人生を歩んでいます。高校卒業後は進学し、フルタイムで働きながら予備校時代の同級生と結婚。二人の子宝に恵まれ、今も共働きで生活しています。全体的に見れば、私たちの世代では王道パターンの真っ当な人生を歩んでいます。

それでも、彼女と私は今でも友人です。高校卒業後に風俗業界へ進み、バツ2でキャリアもなく常にはみ出し者の私に対し、彼女は普通に接し続けてくれています。

彼女は私のような生き方をしませんし、子供にもさせたいとは思わない筈です。でも、だからと言って私に偏見を持つこともなく、お説教をすることもありません。

彼女にとっての私は、相変わらず高校時代と同じただの「変なやつ」で、それは私にとっての彼女も同じです。私から見れば、私と付き合い続けられる彼女の方がよっぽど変わっていると思います。そして、ただただ感謝です。

 

最近は、よく彼女と会います。ここ半年で5回以上は会いました。と言っても、私が働いているスーパーに彼女が犬の散歩がてら買い物に来て、ちょっと言葉を交わす程度です。

家が近いことは知っていましたが、ある日レジで接客中に彼女が来て、二人でびっくりしました。それからはたまに、ふらっと寄ってくれるようになりました。

高校時代からずっと、私が転々と引っ越しをしても何だかんだ車で30分ほどの距離に住んでおり、ここ10年はお互いの生活圏内に住んでいます。会うと「いつも家のすぐ裏を通って出勤してるよ」と話すほどです。

しかし、余程のことがないと私たちは、なかなか約束をして会うことがありません。5年以上、年賀状だけの時期もありました。それなのに、忘れた頃に道を歩いていてバッタリ会うから不思議です。

 

 

ここ2年で、私たちは二度も約束をして会いました。これは相当なハイペースです。私が離婚をして今の家に越してきたとき彼女が遊びに来てくれたのと、この間は久しぶりに二人で飲みに行きました。

相変わらず声はでかいし、会うとほとんど彼女が喋っています。ざっと近況報告が終わると、大抵いつも「高校時代のおさらい」がはじまります。

私は当時の人や出来事をほとんど覚えていません。本当は当時もあまり興味がなかったので、そもそも知りません。彼女が何か話す度に「おさらい」をしないと、私は内容が理解できずに会話が進まないのです。

 

先日は、三年生のときに同じクラスになったのは偶然ではなく「選択教科によって振り分けられた結果」だったとはじめて知りました。

私はずっと10クラスもある中で二度も同じクラスになるなんて、凄い確率だな… と密かに嬉しく思っていたのですが、どうやら必然だったようです。何でそんなこと知っているの?と聞くと「皆知ってるよ。ってか、何で知らないの!」と呆れられました。

私は、彼女と話すときも緊張してあまりうまく話せませんが、彼女と話すことが嫌いではありません。彼女は彼女で、毎回同じようなおさらいを繰り返し話す羽目になりますが、それが苦ではないことを私も知っています。

 

一通りおさらいが終わると、後はもうどうでも良い話題になります。この間は〆のラーメン屋さんで「近所の大通りについて一時間くらい話していました

いわゆるガールズトークにならないことが、私にとってはとても有難いです。その点が、女性が苦手な私が彼女とはずっと続いている所以だと思っています。

その大通りが開通前はどこで途切れていたのか、どう迂回していたのか、いつ開通したのか... などを、地元民の彼女が事細かに教えてくれます。私は大抵ほとんど覚えていませんが、そういう時間は楽しいです

 

私がマリのことを書くのには、理由があります。私が自分が発達障害かもしれないと受け入れた過程に、彼女が一枚噛んでいるからです。それは長くなるので、次回へと続きます… ( → 次の記事: 「あー、っぽいかも…」)

 

( →:【うさぎ年表】での分類:アスペルガーを疑いはじめる )

やることがたくさん…

 

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A1つ」よりも、

B5つの方が大きい

…これは算数の問題ではありません。私にとって、日常で「やらなくてはいけないこと」の数です。

①の単位を『平均5分くらい』とします。Aは、1時間近く掛かる大掛かりな作業です。例えば「ストーブをしまう」こと。今後暫く使わない石油ストーブを分解して、パーツ毎に綺麗に拭き、元に戻してカバーを被せて片付けることがそれに当たります。

Bは、直ぐに終わるちょっとしたことです。例えば「ゴミをまとめる」「洗濯物を干す」「ビニール袋をまとめてしまう」「少量の食器を洗う」「ネギを半分に切って冷蔵庫に入れる」などの、よくある家事です。数は5つでも、さっさとやれば全部で30分くらいで終わります。

 

普通に考えたら、Aの方が大変です。たったひとつなのに、Bに比べ2倍の時間が掛かります。それに、意外と頭も使います。でも、私にとってそれは問題ではないのです。

もし他にやらなければいけないことがなければ、私はAをやるのに何の抵抗も感じません。確かに手間の掛かる作業ですが、それだけひとつやれば良いのです。さっさとやります。

もし他にやらなければいけないことがなくても、私にとってBをやるのはとても大変です。数の多さに圧倒され、暫く呆然としてしまいます。まずは頭を落ち着かせて、何からやれば良いのか考えるところからスタートです。結局、ひとつも手を付けられずに1日が終わることもあります。

私にとって、ひとつひとつの大変さや所要時間は関係ありません。①も⑩も同じ1カウントです。全部で『幾つのことをやらなければいけないか』が問題です。Aは1つ、Bは5つなので、Bの方が5倍大変なのです。

 

実際には生活していく上で、Aしかやらなければいけないことがない日などありません。従ってAがある場合、上記の例で言うと5+1で6つになります。もっと大変です。

一番大変なのは水曜日です。私は生協のひとつ「生活クラブ」の宅配を利用しており、水曜日がその宅配日です。野菜はできるだけ近所の直売やJAで買いますが、それ以外の食材や日用品のほとんどを私は生活クラブで購入しています。よって、一番物が増える日です。

それに、水曜日は今の私にとって唯一のお休みです。夜勤で週6日働いているので、水曜日には普段はできない色々なことをやりたいのです。他の日にもやりますが、疲れてできないこともあるので結果「水曜日にやろう」となり、負担が集中します。

私はいつも『やることリスト』を作ります。例えばやることが6つもあると、何からやれば良いのか途方に暮れてしまうからです。そのリストは、水曜日だけは何倍にもなります。

 

前回も書きましたが、生活するとは「物が動く」ということです。私の家は物が多くも少なくもなく、普通のはずです。そして自分でも、常に綺麗に保てていると思います。

私の家の物には全てに住所(定位置)があり、そこに収まっていてくれないと私は嫌なのです。ネギは冷蔵庫の定位置にあって欲しいのです。泥つきで長いのは嬉しいですが、定位置以外の場所にあるのは困ります。

全てのものが定位置に収まっている状態が、私には必要です。

・流しには食器がなく、食器も全て定位置にある。

・洗濯物カゴにも何もなく、服も全て定位置にある。

・床にはゴミがない。

・机の上には余計な物がない。

・布団は綺麗に敷いてあるか、もしくは定位置に畳んである。

 

それらが全て揃ってはじめて、私は心からほっとできます。家の中でどこにいても構わないのは、私とスマホくらいです。他は全て綺麗に収まっていてくれないと、私は落ち着けません。

 

定位置にあるものを、意図して使うことは構いません。私は食べることも料理をすることも好きなので、料理をすることはいちいちリストに入れなくてもできます。入れるとしても「ごはん」で済みます。

料理はなるべく一皿にまとまるようにはしていますが、他はあまり気にしません。ガスコンロで揚げ物もします。使用したガスコンロの掃除は料理の一環なので、食べる前に綺麗にするので問題にはなりません。但し、食べた後の食器の片付けは1カウントです。

今は、あまり電化製品を持たない生活をしています。最低限はありますが、無くてもいいものは持っていません。『電化製品自体の掃除が発生するからです。便利な物も、使えば当然汚れます。だったら「ない方が落ち着く」という結論に達しました。

私にとって、食器を手洗いするのも、食洗機を回すのも同じ1カウントです。乾いた食器を戻すのも、それぞれ1カウント。食洗機は、定期的にメンテナンスが必要です。どう考えても、食洗機がある方がやることが増えるのです。

一人暮らしだからと言うのは、多分にあると思います。大家族だったらきっと違うのでしょう。今のところ、世の中の『便利さ』はどうやら私には当て嵌まらないようです。

 

リストの数は、定位置に収まっていない物の数です。その数が多いと「部屋の中がぐちゃぐちゃだ!」と思って頭の中がパニックになります。特に、疲れて動けないときなどは、座り込んで泣いてしまうこともあります。

しかし恐らく、実際には大したことないのです。「数」が多いだけで、全体量や個々の手間は少ないはずです。普段から常にベースは整っているので、物を定位置へしまえば良いだけのことなのです。

それなのにできないのは、そもそも物が動いていることで既に落ち着きを失っている』からだと思います。それに、家の中が私にとって『大切な場所』だからかもしれません。

自分の家以外は、私にとってどうでもいい場所です。仕事なら作業がたくさんあっても大丈夫だからです。言い方は悪いですが、私は仕事は自分の好きなことしかしません。仕事はゲームだと思っています。( → 参考記事: もうひとつの方のバイトのこと夜な夜なパズル!ー前編ー )

 

家の中も、仕事のようにゲーム感覚でできれば良いのですが... 難しいです。ちなみに今はとても気分が良いです。やはり私は、家が綺麗に片付いていると落ち着きます。

今日の「残りのリスト」は、このブログをアップして寝ることです。私はお布団へ、スマホは充電器へ。それで完璧に、全てが定位置に収まります!

 

( →:【うさぎ年表】での分類:ブログをはじめる )

揃っていないと気持ち悪い!

 

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アスペルガーについての本を読んだときに「これは凄くわかる!!」と思ったことがあります。ハンガーについてです。

私は、クローゼットの中がきちんと揃っていないと、気持ち悪くて仕方がありません。まずは、ハンガーの種類です。普通の形のハンガーでも、スカート用やパンツ用のハンガーでも、同じシリーズのもので揃っていないとダメです。

そして、向きです。ハンガーの向きをバラバラに掛けることなどあり得ません。服の向きも揃えます。どんな種類の服でも、必ず前見頃が左側にくるように掛けます。ひとつでも違うと気に入りません。

最後に、服の順番です。これは衣替えの度に若干変わりますが、丈の長さと色でおおよその順番が決まっています。洗濯の後に戻すときは、必ずそのセオリーの範囲内に戻します。おかげでいつもクローゼットの中は綺麗です。

 

これは子供の頃からでした。はじめてクローゼットができたのは中学一年生のときで、気づいたらそうしていました。自分の服は自分で片付けるのが当たり前だったので、親に手を加えられたことはありません。

親の部屋のクローゼットは、私からすると信じられない状態でした。ハンガーの種類も、ハンガーや服の向きも、服の丈も色も、それこそシャツもパンツもワンピースもお構い無しです。私の母親は、そういうところに無頓着です。

しかし何年かして、母親と父親のクローゼットが別になり、それぞれが自分で管理するようになったようでした。それを見て、私は思わず笑ってしまいました。父親のクローゼットが、私の以上に整然としていたからです。

私は、幼い頃から父親が大嫌いでした。しかし、そういうところは嫌というほどそっくりです。父親についてはまたいつか書きますが、私以上にアスペルガーの要素が多分にあると思います。遺伝だとしたら父親からです

 

自分のクローゼットは自分で管理するので問題ないのですが、自分以外のクローゼットはそうもいきません。結婚していたときは辛かったです。元夫のクローゼットは、当然ですが彼も触るからです。

元夫は家事を一切やらない人だったので、彼の服も洗濯からクローゼットへしまうまで全て私がやっていました。私は自分のほどではないにしろ、どうしてもある程度は揃えてしまいます。

しかし彼は無頓着です。出しかけた服を戻すとき、適当な場所に適当な向きで戻します。それに気づく度に私はイライラし、我慢できずにちゃんと直します。ずっとその繰り返しでした。

恐らく彼や、私の母親みたいな感覚の方が、世間では「普通」なんだと思います。私が細か過ぎるのだとわかっています。でも、どうしても気持ちが悪いのです。揃っていないと落ち着かないのです。

 

それでも、服はまだ良い方です。いっぺんに何着も着ることはありませんし、普段何もしなければそこに大人しく収まっていてくれるからです。

日常で使うものは大変です。私は全ての物が定位置に綺麗に収まっていないと嫌なのですが、生活するということは「物が動く」ということです

今は一人暮らしなのでまだマシな方ですが、それでも毎日のようにリビングの椅子の上で暫く呆然としています。実は、今もその状態です。今日は一番大変な『水曜日』だったので特にです。

私は「片付けること」が複数溜まると、途端に動けなくなります。自分でも神経質だと思うくらい綺麗でないと落ち着かない癖に、複数のことを目の前にすると何もできなくなってしまいます。

 

魔法』が掛かるとバカみたいに動くのですが、今は掛かっていません。魔法とは、マリオの「スーパースター状態」みたいなものです。(私は初代のスーパーマリオしかわかりません。星のアイテムを取ると、敵に当たっても死ななくなる状態をイメージしています)

これは、期間限定の『何でも出来るモード』でとても有効です。大掃除や衣替え、物の定位置の変更ができるのは、全てこの状態のときです。常に魔法を掛けていれば良いのですが、掛け過ぎると後に疲労というツケが回ってきます。だから期間限定なのです。

先週の私は、魔法が掛かっていたのでとても動きました。壊れたまま使っていた扇風機を買い替えて処分し、冷蔵庫の中を全て出して掃除し、お蔵入りしていたBluetoothのキーボードを引っ張り出してスマホにペアリングしました。

その反動もあり、今週は諦めています… スマホを充電するのさえ一苦労で、ここ数日で何度も電源が落ちました。そもそも『魔法』です。もし常用できるのなら、それは魔法ではなく性格です。

 

…何を書いているのか、自分でもわからなくなりました。①やることが複数溜まると動けなくなること。②神経質過ぎるこだわりと魔法について。この二つを、またの機会に書こうと思います。

 ※ 更新しました。( → ①: やることがたくさん… )

とりあえず今はもういい加減、逃げるのをやめて部屋を何とかしたいです。折角の休みなので、仕事が終わる前から「明日はあれもこれもやりたい!」とわくわくしていたのに、まだ何もはじめていません。

「やることリストを作ろう」と思って、既に半日以上が経ちました。私はまずリストを作らないと、何から手を付けたら良いのかがわかりません。気持ちだけが焦って、どんどん部屋が散らかる一方です。余計に気持ちが滅入ります。

 

ブログを書くことは好きです。やらなければいけないことが山ほどあるにも関わらず、書きはじめたら止まりません。今日もやることリストを作る前に、次のブログの「内容」だけ先に決めておこうと思いアプリを開いたら最後、気づけば今に至ります。

画面を見ているときは良いのですが、ふと画面から目を離して部屋を見渡すと泣きたくなります。また順番を間違えているな、と感じます。

ブログを現実逃避の道具に使ってしまったようで、何となく気が引けます。でも、それを許せる余裕を持つことも必要だと思います。私の好きな名言に倣って、何もできなかった半日を「ブログを書けたので有意義だった」と思うことにします…

 

『何も出来ない日や時には、後になって楽しめないようなものを作ろうとするより、ぶらぶらして過ごしたり、寝て過ごす方がいい』

(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)

 

( →:【うさぎ年表】での分類:アスペルガーを疑いはじめる)

アスペルガーと、うさぎの夢

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心理学スクールを卒業して、将来は心理学を使った仕事をしてみたいという「夢」ができ、自分でも色々と本やネットで調べていたときのこと。たまたまネットで見つけた「発達障害」についてのページを、興味本位でクリックしてみました。

前回の続きです。( → 前回の記事: 心理学と、うさぎの夢 )

はじめに見たのはADHDでした。その言葉さえ知らなかったので、へーと思いながら読んでページを閉じました。次に見たのはアスペルガーでした。こちらも同じくへーと読んで閉じました。実は、最初はこんな感じでした。「自分には関係ないな」と思いました

その後も色々なものを調べていく内に、今度は精神障害のチェックリストがあったので、自分でもやってみようと思いました。心理学スクールでも幾つかやったことがあったので、それと同じ構成なのか、違う構成なのかに興味があったのです。

 

私は精神的な病を患ったことがありません。しかしスクール中から不思議だったのですが、結構色んなチェックリストで「あと一歩」のところまで当て嵌まってしまうのです。中には基準を満たしてしまうものもありました。

そのため、私は自己診断テストにはあまり信憑性を感じていません。そういうチェックリスト類をやるのが苦手で大嫌いです。私の自己申告ほど当てにならないものはないからです。(今では、正直笑えない… と思うこともありますが)

そんな感覚だったので、そのときも遊び半分で片っ端から試してみました。ついでにアスペルガーのチェックリストも試しましたが、全く当て嵌まりませんでした。それで終わりです。私の中でその件はただのお遊びの一環で、それから暫くはすっかり忘れていました。

その後は二度目の離婚や引っ越しなどで忙しく、そちらに意識が向いていました。たまに勉強もしていましたが、発達障害については完全に興味を失っていました。

 

再びそこに意識が向いたのは、またしても偶然でした。ある記事の見出しを見て、あれ?と思ったのです。そこには『女性のアスペルガーは、ガールズトークができない』と書いてありました。

私はガールズトークができません。それは幼い頃からずっとです。している人を見て「よくできるな…」といつも感心していました。自分もしたいと思ったことがないので、コンプレックスに感じたこともありません。

「ガールズトークができない」という文字が目に入ったので、そーいえば自分もできないな… と思い興味を持ちました。しかし、前半部分を読んでびっくりしました。『アスペルガーの文字に気づいたからです

以前にアスペルガーについて調べたときは、そんなことは書いてありませんでした。恐る恐る記事を開きました。どうやら男女で「性差」があるらしいことを知りました。

 

それから「女性の」限定で、アスペルガーについて調べました。徐々に違和感を感じはじめました。それでも当時はまだ色々なことを『自分はできる』と信じていたので、当て嵌まらないことがたくさんありました。しかし、部分的にはとてもよく当て嵌まります。

それに、どういう訳かとても気になることが奇妙でした。自分では全く認める気はなかったのですが、やはりそれまでの人生で常に違和感を感じて生きてきたせいではないかと思います。

そんな筈はない!と、そこから「当て嵌まらないこと探し」がはじまりました。本を読み漁り、当事者ブログを読み漁り、必死で過去を振り返りました。

 

それから1年半以上、このブログをはじめる直前まで、自分でもよくわからない状態が続きました。一度、精神科でWAIS-IIIの検査を受けました。検査結果を聞いた後ドロップアウトしてしまい、現在に至ります。

今は、自分でグレーゾーンだと思っています。ひとつは、あまりに特性が当て嵌まることに観念できたこと。ひとつは、精神科の先生に「自立支援医療」の取得を勧められていたこと。ひとつは、高校時代からの友人に言われたこと。( → 参考記事: 唯一の旧友 「マリ」

多くの方が仰るように「都合のよい言い訳」に使わなければ、自分でそう思うことは構わないと思います。少しでも心が楽になれば儲けもんです。実際に、認めたことで楽になったことが幾つもあります。

しかし、逆に不安を感じるようになったこともあります。頭の中がパニックになっているときは、そういう概念自体が完全に抜け落ちます。

結局どちらであっても、私が今までと同じ「私」であることは変わりません。だったら自分で認めてしまって、少しでも対処ができるようになりたいと思うようになりました。「当て嵌まらないこと探し」を断念し、代わりにこのブログをはじめました

 

自分の中で納得ができたことは良かったのですが、そこで今度は新たな問題が浮上してしまいました。私の「夢」についてです。私はどうやら人の気持ちがよくわからないらしいのに、果たして人様に対して心理学を使った『仕事』ができるのだろうか…?

心理カウンセラーの資格を取ったのは、まだ何も知らない頃でした。1年半前にお兄ちゃんたちのいる「塾」に入ったのも、その夢のためです。その頃はまだよくわからない状態でしたが、今は現実の難しさを嫌というほど自覚しています。

もしかしたら、一番やってはいけないことに手を出そうとしているのかもしれない… そう思って怖くなることもあります。折角たくさん勉強したのに、そんなことを考える自分を悔しく感じることもあります。

それでも、できないことは無いと思っています。フィールドを巧く整え、やり方を工夫すればできることは幾らでもあると信じています。でも、今はまだその方法がわかりません。

 

心理学を勉強したからこそ夢ができました。その夢に近づくために更に勉強したら、現実を知ることになりました。ちょっと皮肉だなと思います

でも、私にとっては生まれてはじめての夢です。きっと何か意味があるのだろうと思います。そう簡単に諦めたくはないですが、自信をつけて良い方法を見出だすにはもう少し時間が必要です。

まだまだ自分のことで頭がいっぱいになってしまうことばかりで、それどころではないことも多いのが実情です。少しでも頭の整理ができていくことを願いつつ、今もこのブログを書いています...

 

( →:【うさぎ年表】での分類:アスペルガーを疑いはじめる )

心理学と、うさぎの夢

 

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今から約4年前に師匠と出会い、彼の気持ちを理解したくて心理学を学ぼうと決めました。前回の続きになります。( → 前回の記事: 師匠のこと

この頃はまだ、アスペルガーという言葉さえ知りません。どちらかと言うと、ただ純粋に「人の心理について超詳しくなりたい!」くらいの軽い気持ちでした。師匠の真意は全くわかりませんでしたが、心理学の知識を得ればわかるようになるだろうと考えていました。

それまで私にとって心理学とは、多少興味はあったものの、どこか遠くの世界でした。それに、わざわざ心理学を学ぶ必要もないと思っていました。そんなもの習わなくても、私は人並み以上に人の気持ちがわかると思っていたからです。

 

関東圏内で心理学を学べる団体に一括資料請求をし、資料が最も簡素だったスクールに即日申し込みをしました。連日ポストに入りきらないほどの分厚い紙の塊があちこちから届く中、そのスクールからの資料は「角形8号の薄っぺらい封筒」一通のみでした。

実直に勝手にやっています、どうしても来たければどうぞご自由に… と言わんばかりの素っ気ない資料を見た瞬間、間違いないと思いました。そういう点に、私はシビアです。私は対価を払ってでも学びたいのであって、豪華な広告費の一端を担う気はないからです。

私の直観は大正解でした。恩師はすぐに、私の二人目の師匠となりました。彼のスクールを選んだことは、今でも私の自慢です。授業中は毎回必死でノートを取りました。授業の後も、家に帰ってからもずっと勉強をしていました。

 

心理学の『知識を得ること』に関しては、本当に面白かったです。しかし、実は今そのことを少し書きかけてみて、ちょっと思うところができました。もう少し納得の行くまで考えてから、別で書こうと思います。そこは今回は省略です。

 ※ 更新しました。( → 続編: 心理学スクールでのうさぎ )

基本的に授業は毎回とても楽しかったのですが、唯一辛かったのは自分の生い立ちを振り返ることでした。自分では当たり前だと思っていたことが、実はそうではなかったとたくさん気づきました。

私はずっと孤独で、本当は寂しかったこと。本当はずっと、大人に甘えたかったこと。自分がどんなに愛や居場所に飢えていたのかを、はじめて思い知りました。

過去を振り返る度に、授業中にも関わらず涙が溢れてしまい、堪えるのに必死でした。授業中は何とか頑張りほっとしたのも束の間、今度は帰りの電車の中で涙が出てきてしまい、よく恥ずかしい思いをしました。私はとても泣き虫です。場所を弁えずにボロボロと涙が出てしまい、自分でも止められません。

 

それでもなんとか無事にスクールを卒業し、認定試験も合格して心理カウンセラーの資格をとりました。とは言っても民間資格なので、持っているからどうということもないのですが... これでも一応、私は心理カウンセラーでメンタルトレーナーなのです。それが約2年前のことです

前回も書きましたが、私が心理学に興味を持ったきっかけのひとつは、ある心理カウンセラーの方が書いた記事でした。内容は全く覚えていませんが、人の心理についてとても的確に表現していて感心したのを覚えています。

そして私も心理学を学び、徐々に自信が付きました。そしてもしも叶うなら、私も将来その記事を書いた人のように、心理学を使った仕事をしてみたいと思うようになりました。私が人生ではじめて見つけた『将来の夢』でした。

 

スクールでは心理学の基礎をしっかりと教わりましたが、知れば知るほど奥の深い世界です。卒業した後も自分で本を買ったり、ネットで調べたりと勉強をしていました。

私は「心理カウンセラー」と聞いてパッと思い浮かぶような、いわゆる一般的な心理カウンセラー職にはあまり興味がありませんでした。何となくもっとフランクに、心理カウンセラーらしくない心理カウンセラーになりたいと思っていました。

心理学の知識を元に、過去の自分の経験を活かして何かできないだろうか?そう思っていたので、当時は選り好みをせず片っ端から色んな情報を仕入れていました。

 

そんな頃でした。たまたま『アスペルガー』だの『ADHD』だのという記事が多くヒットしてしまうようなワードを入れて、何かを検索していたのではないかと思います。ネットで調べものをしているときに、一時期とてもそれらの言葉を目にする機会がありました。

発達障害については医療分野なので、スクールではほんの障りだけ(言葉くらい)しか習っていませんでした。医療行為との住み分けは、耳にタコができるくらい叩き込まれました。そこは本当にしっかりした教育を受けられたことに、今でも感謝しています。

なので、はじめはずっとスルーしていたのですが、あまりにも目にするので興味本位でちょっとだけ見てみようかなと... それが私がはじめて「発達障害」という存在に触れた瞬間でした。

ほんの軽い気持ちでした。まさかその後、こんなにも長い付き合いになるなどとは、夢にも思っていませんでした...。次の記事へ続きます( → 続き: アスペルガーと、うさぎの夢 )

 

( →:【うさぎ年表】での分類:心理学を学びはじめる )

師匠のこと

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今から約4年前のこと。私は人の気持ちが全くわかっていないのではないか…? 師匠と思える人に出会い、生まれてはじめてそう疑問を持ちました。

私は師匠が大好きでした。聞きたいことが山程あったので、顔を見れば捕まえて色々と話をしていました。しかし徐々に、彼との会話に戸惑いを覚えるようになりました。彼の反応が毎回、私の予想だにしない方向に行くのです。

私は師匠が何を考えているのかがさっぱりわからず、あまりの感覚の違いに愕然としました。話せば話すほど、彼のことがわからなくなります。どんなに頑張って考えても、一向に真意が掴めません。

私は人一倍、人の気持ちがわかるという自負を持ってずっと生きてきましたそれなのに、大好きな人の気持ちが全くわからない… 不思議で仕方がありませんでした。彼が物凄く変わり者なのかと思いましたが、周りの人に聞いてもそんな様子は感じられません。

彼は、私なら絶対に言わないように気をつけることを臆面もなく言います。私だったら絶対にこうすると思うことを、平然と違うやり方でやります。会話が全く噛み合わず、話す度に混乱しました。私は彼の真意を図りたくて、ネットや本を読み漁りました。

 

色々と学ぶにつれ、私は段々と自分に違和感を感じるようになりました。言葉で表現するのは難しいのですが、どうも「わかるのにわからない」のです。読むとわかるのです。ちゃんと知っているのです。でも、どこかが違う…

そんなことの繰り返しで、彼とも相変わらずちんぷんかんぷんなやり取りを続けていました。半年くらいしてやっと、何となく原因がわかりはじめました。それが「私は人の気持ちがわからない」という衝撃の事実でした。

私は、目の前の相手のリアルな気持ちが全然わかっていないのではないか?過去の経験から得たデータベースによって導き出されたこの場合はこう思うことが正しいという解答を、目の前の相手に重ねているだけなのではないか

 

私は相手の気分を良くさせるために、常に相手の言動をインプットして、その兆候と顛末をパターン化して蓄積してきました。なので、何となく知識としては持っていたのです。それが「わかるのにわからない」の「わかる」の部分です。

しかしそれはある特定の状況下の、典型的な役割に限り応用が利くものでした。例えば風俗嬢という役割のときに、はじめて会ったお客さんが求めていることなら大体わかります。サービス業の店員という役割のときに、怒っているお客さんの怒りを鎮めることも巧くできます。

役割があれば、どう振る舞えば良いかわかります。プライベートでも、浅い付き合いならそれで十分でした。いつも深い付き合いになる前に『リセット』してしまうので、これまであまりその問題が表面化する機会がありませんでした。( → 参考記事: リセット症候群 )

 

ところが師匠とのやり取りでは、私に役割はありませんでした。ただの私でしかありません。そして私は彼が大好きだったので、彼という人間を知りたいと思いました。役割のない、浅くない付き合いとなると、それはもう生身のやり取りです。私にはどうも、それがわからないらしい…

私が30年以上を費やして集めたデータベースは、彼の前では全く役に立ちませんでした。私は34歳にしてはじめて「人は皆それぞれ感じ方や考え方が違う」と知りました

そんな当たり前のことさえ知らずに、私はパターンを全て駆使すれば人の気持ちがわかると信じて生きてきました。そのために、必死でデータベースを構築してきたのです。

データベースだけでは本当に人とわかり合うことはできないのに、私には目の前の相手の気持ちがどうもわからない」… いま思えば呆れてしまうのですが、この頃はまだその深刻さに全く気づいていませんでした。

その頃、たまたまネットで見たとても参考になる記事を書いていた人のプロフィール欄に、職業『心理カウンセラー』とあったのを見て、私も心理学に興味を持ちました。心理学を学べば、彼の気持ちがわかるかもしれないと思ったのです。それが、私が心理学スクールに通おうと思ったきっかけです。

 

私は本当に師匠が大好きでしたが、結局最後までほとんど理解できないままでした。離婚をする前の元夫の会社の取引先の人だったので、私が退職して以来、もう今後も会うことはないと思います。

それでも彼は、私が自分を知る一番はじめのきっかけを与えてくれた人です。私は高校生の頃に人形になろうと決めてから、ずっとそうして生きてきました。彼と出会って、人形を卒業して人として生きたいと思いました。はじめて本気で人を理解したいと思いました

今でも、彼にはとても感謝しています。彼に出会わなければ、心理学を学ぶこともありませんでした。心理学を学ばなければ、アスペルガーという言葉さえ知らずにいたと思います。今の私がいるのは、彼のおかげです。今でも彼は、私にとっての一番の「師匠」です。

その後、私は心理学を学びはじめます。次の記事へ続きます。( → 続き: 心理学と、うさぎの夢 )

 

( →:【うさぎ年表】での分類:心理学を学びはじめる )